『血の婚礼』

スペインの作家ガルシア・ロルカの原作を元に清水邦夫が書き換え、ベニサン・ピット等で蜷川幸雄が演出してきた作品。
今回は、渋谷のBUNKAMURAが改修工事となるため、元区立中学の体育館だった「にしすがも創造舎」での公演。

かつて蜷川幸雄は、自分たちの劇団桜社を解散したとき、その理由に「自分が過去の自分を模倣していることに愕然として」桜社を止めたと言っていた。
だが、この劇は、蜷川幸雄の過去の手法、技法の繰り返しのみで成り立っていた。
模倣そのものではないのか、それともそれを成熟化と言うのだろうか。

約90分間、ずつと雨が降り続く、まるで地球温暖化後の世界のように。
日本には、昔から夏芝居では『滝の白糸』の水芸のように、水を使って涼ませる趣向があるが、のべつの雨では、逆に蒸し暑くなったようだ。
蜷川らしい、町の路地のコイン・ランドリーとビデオ屋、そこに何故か鼓笛隊が通過し、それをトランシーバーで報告している少年田島優成がいる。

そこに、町を逃げ歩いている男篠塚洋介が現れる。
さらに、中島朋子も来る。
二人は、田舎の中島朋子と近藤公園との結婚式で、中島を奪い、逃げた男女だった。
だが、中島と篠塚は、東京に出てきて、今は別居している。
さらに、ビデオ屋の高橋和也と伊藤蘭、妻に自殺された教師青山達三らの思いが重ねられる。
最後、篠塚と近藤は互いにナイフで刺し殺し合う。
まるで、後の者も自殺しあうのを期待するかのように。

蜷川の演出は、町のネオン、看板、自販機、コイン・ランドリー、ビデオ屋等を細密な舞台装置から、自動で動く三輪車、鼓笛隊の行進、ずっと降る雨など、いつものテクニックを総動員して見るものを飽きさせない。
だが、どこにも焦点がなく、また伊藤蘭と中島朋子の独白も、雨の音に消されて十分に伝わって来ない。
降り続く雨、舞台と客席を隔てる立ち入り禁止のテープなど、地球温暖化や原発事故を想起させるものは多数散りばめらている。
だが、どこか不十分であり、総体的に言えば、散漫な作品と言うべきだろう。
「ずぶ濡れの役者さん、ご苦労さん、風邪を引かないように」であった。
にしすがも創造舎体育館 特設会場

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