先週、「中村とうようさんを偲ぶ会」が行われ、その際の「映像ショー」で、マスコミへの登場を昭和38年のNHKラジオと紹介していた。
だが、私は中学3年の昭和37年にラジオ関東(現RFラジオニッポン)での『ラテン・タイム』を聴いているので、「あれっ」と思った。
そこで、司会の関谷元子さんに聞くと、この経歴は、とうようさんの喜寿のお祝いのときに配られたクロニクルどおりとのことだった。
ラジオ関東でのDJの方が早いのは事実なので、これはとうようさんは、ラジオ関東での仕事の経歴を消したことになる。
その理由は、多分ラジオ関東が、1970年代以降、信じられないほどひどいラジオ局になってしまったことがあると思う。
1958年に首都圏の最後のラジオ局としてできたラジオ関東は、1960年代は大変ユニークな番組を放送していた。
1963年の日活の蔵原惟繕監督、石原裕次郎、浅丘ルリ子、芦川いづみ主演の『憎いあンちくしょう』で、裕次郎の北大作が放送している『今日の三行広告から』は、ラジオ関東の人気番組『昨日の続き』をモデルにしている。
そして、これは現在全盛のトーク番組のはしりである。
そして、深夜も1時半まで放送していて、とても早かったのだ。
12時30分からの15分間がDJタイムで、ここは有名人のDJもあり、アイ・ジョージがやったこともあった。
そこには当時付き合っていたらしい嵯峨三千子も出て来て、かなりきわどいことを言っていた。
我々は、中学生で聞いていながら、「教育上良くない番組だな」などと言い合っていた。
この時間は、音楽の特集になる時もあり、夏はハワイアン、秋はシャンソンやラテンだった。
そのラテンで、何度も出てきたのが中村とうようさんだった。
当時私は、ラテンには興味がなかったが、その次が本多俊夫の『ミッドナイト・ジャズ』なので、、無理して聴いていた。
本多俊夫は、本多俊之の父親で、当時はジャズ評論家として大活躍していたが、その一つが『ミッドナイト・ジャズ』だった。
そのようにラジオ関東は、先進的な放送局だったが、1970年代以降、社長になった遠山景久のワンマン経営で目茶苦茶になってしまう。
女性人気アナウンサーをキーパンチャー配転したり、右翼的論説を放送の中心にして若者向けの音楽番組をなくしたりと。
現在で言えば、突然全部の番組を桜チャンネルにしたようなものである。
あまりにひどいので、親会社になった読売グループの意向で、遠山を取締役会で解任し、追放した。
多分、中村とうようさんは、当然こうしたことも熟知していて、自分の経歴から抹消したのだと私は思う。