オオム真理教の裁判が終結した。
彼らが様々なところで活動していたことの結果だが、彼らとは、かなりの場面で遭遇していたことを思い出した。
いつの衆議院選挙のときか忘れたが、横浜の関内駅前でも、奇妙な麻原のお面を被った連中が「ショーコ、ショーコ」と歌っていた。
1991年に、横浜市から派遣されて、当時富士宮にあった通産省系の語学研修組織の財団法人貿易研修センターに行った。
そのとき、オオムは富士山麓にサティアンを作っており、地元の人は「彼らが白服でうろうろしていて気持ちが悪い」と言っていた。
近くには、企業戦士の研修センター「地獄の特訓」もあった。
富士山麓は、もともと一種の聖地なので、創価学会を始め、その他宗教団体の施設が多数あった。
1995年3月20日、彼らが東京で「地下鉄サリン事件」を起こしたとき、私は午後仕事を休み十六代目片岡仁左衛門襲名公演『道明寺』の歌舞伎座の駆けつけた。
『道明寺』は、『菅原伝授手習鑑』の1幕で、菅原道真の木像が出たり、消えたりする「夢幻劇」で、何か狐にばかされたような感じを持ちつつ劇場の外に出た。
すると入るときは気がつかなかったが、歌舞伎座を出ると大騒ぎで、その頃はまだ事件なのか、事故なのか分からず、街頭のテレビでも被害を報道しているだけだった。
家に戻ると、CNNは、化学防護服の隊員を、like a science ficton film と言っていた。
あれからもう16年とは、本当に時の経つのは早いものである。