高峰秀子の『秀子の応援団長』について

昨日は、フィルム・センターで高峰秀子主演の『秀子の応援団長』を見た。
監督千葉泰樹、主演は高峰秀子、アトラス軍の投手に灰田勝彦(中で「燦らめく星座」を歌う)、その監督がなんと千田是也。

高峰の父は小杉義男、母は沢村貞子。昭和15年、南旺映画という後に東宝に吸収される映画会社の作品。後楽園球場や、上井草球場だろうか、郊外の球場も出てくる。
アトラス軍という弱い野球チームの監督・千田是也の姪の高峰が、友人とジャズで応援歌を作り、それによってアトラス軍は優勝するという他愛のない話だが、とても面白かった。このとき、高峰は16歳。
日本映画史上「何々の 」と役者の名前がタイトルに付いているのは、言うまでもなく美空ひばりに多数あるが、高峰にも、この「応援団長」と『秀子の車掌さん』の二本ある。いかに人気があったかを示すものだろう。翌16年には名作『馬』に主演する。

ここには、ほんの少しだが当時巨人のスタルヒン、水原、白石、吉原ら、セネタースの苅田久徳、本当は中日だったはずだが、ここではセネタースで西沢道夫らも出てくる。沢村栄治は召集されていたらしく出ない。

話は違うが、私の女房の父親は、約20前に死んだが、生前「子供の頃、沢村の投球を見たことがある」と言っていた。確かに昭和10年代なのだから、見た人は多数いるはずなのだ。ただ、今と違ってテレビはなかったので、都市にいた人しか見られなかったわけだ。

驚くのは、昭和15年ですでに日中戦争は始まっていながら、ジャズと野球が堂々と新しい文化として紹介され、庶民の中に生きていることである。戦前を暗い軍国主義の時代として一律に考えるのは間違いなのだ。こういうのんびりとした、アメリカ文化かぶれを良しとする風潮もあったのだ。
千葉泰樹は、サイレント時代からの監督で、戦後は東宝で『大番』などの文芸作品からアクション、喜劇と何でも撮った人だが、これもなかなか良かった。
先週見た、同じく高峰秀子が戦争未亡人を演じる『幸福への招待』も、なかなかなの作品だった。ところどころ、脚本が劇作家・八木隆一郎で主演が大河内伝次郎なので、演説映画になってしまうのがおかしかったが。

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