『パーマ屋スミレ』


「新劇滅んで井上ひさしが残った」だったが、その「井上ひさしも死んだが、新国立劇場がある」と言うべきだろう。

鄭義信の新作『パーマ屋スミレ』は、前作の『焼肉ドラゴン』に続き、在日の人々を描くもの。
前作が大阪の伊丹空港付近だったのに対し、今回は、その新滑走路建設にも加わったと言われる九州の炭鉱で働いていた在日の話である。
北九州の三池炭鉱に働く、アリラン峠近くに住む連中、それを中年になった主人公が回想して訪れる。
例によって、最下層の貧困の中、中心は女たちで、根岸季衣、南果歩、星野園美ら。
ある夏祭りの夜、炭鉱で爆発が起き、男たちは、救出に駆けつける。
だが、そのために彼らは、炭酸ガス中毒になってしまう。
それは、まるで脳梗塞のようで、身体のマヒ、記憶喪失、感情失禁等になる。

こう書くと、悲劇的世界のようだが、全体は極めて喜劇的で、生の感情が激突する大騒ぎの劇である。
平田オリザ以下の連中とは対局の世界がうれしい。芝居はこうじゃなくちゃいけない。
平田や岡田利規らの退屈以外のなにものでもない劇を喜ぶ連中の気がしれない。

ともかく、役者が溌剌としているのが良いが、特に松重豊は格好よく、久保酎吉はいい加減な組合支部長を好演。
今井正の映画『ここに泉あり』の適当な楽団マネージャーの小林桂樹を思い出した。
いつもながら久米大作の音楽が泣かせる。
一つだけ、この秀作に疑問を呈しておく。
この劇や、映画『フラ・ガール』などの昔の炭鉱町を舞台とした作品は、そこを常に貧困な場所としている。
だが、九州の炭鉱町に育った友人の話では、彼は先生の息子だったが、町の産業は石炭の炭鉱だった。
石炭会社には、当時からスーパーや映画館があり、そこの学校には立派なプールもあり、いつも羨ましく思っていたそうだ。
戦後すぐから、1960年代の石油へのエネルギー転換が行われるまでは、石炭産業は日本の最重要産業であり、給料、待遇も他の産業よりも良かったのである。
そのことを見落とすと、歴史への大きな誤解を生むことになると私は思う。
新国立劇場

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コメント

  1. ao202414 より:

    Unknown
    おどんは阿蘇山たい

    怒ればデッカイ噴火山たい