『世紀の合唱・愛国行進曲』

1938年に、東宝映画で公開された音楽映画。『軍艦行進曲』と『愛国行進曲』を作曲した瀬戸口藤吉の伝記映画である。

瀬戸口役は滝沢修で、妻は英百合子、子供たちは北沢豹などで、長男でわからないのがいたが、佐山亮という男優で、戦病死したので、戦後は出ていない。

話は、海軍軍楽隊長瀬戸口の退任演奏会から始まる。調べると50歳で、当時の定年退職はそんなものだったのだろう。海軍を辞めても、東大の音楽部、横須賀の少年鼓笛隊などの指導で忙しく働いている。

中で興味深いのは、彼が映画館に行き、ヴァイオリンとコルネットの奏者の再就職をお願いしているところで、サイレント時代、大きな映画館にはバンドがあり、映画の伴奏をしていたのだ。

映画館のバンド奏者は、日本の音楽家の供給源の一つで、ここにも出ているが、藤原釜足は、映画館のヴァイオリン奏者だったが、トーキーで職を失ったので、俳優になったのである。ポピュラー、クラシックを問わず、軍楽隊、サイレント映画館のバンドは、日本の音楽の供給源だったのである。ジャズで言えば、渡辺貞夫あたりまでが軍楽隊出身者である。瀬戸口は、また放送局の嘱託になるが、NHKのことだろう。銀座の楽器店で楽器を選んでいるシーンがあるが、銀座の山野楽器に違いない。

時代は進み、楽隊長の藤原釜足は、欧州に演奏航海に行き、そこでは「ナチスやファシストの良い歌があったが、日本にはない」と嘆く。その時、愛国歌の公募が行われ、作詞は無名の素人で、瀬戸口は曲を作る。

いろいろと音形を書くが、冒頭の部分が日本的なメロディにならないと苦心する。その間疲労から、倒れて右腕が動かなくなってしまうが、実際は別の病気だったようだ。

そして、最後書き上げて、見事当選する。そこからはスタンパーによるSPレコードの製作、様々な連中による大都市での行進の映像になり、当時は日本軍勝利の時代なので、非常に盛り上がっている。

この『愛国行進曲』については、戦時中に音曲師・橘屋円太郎と言う人が襲名披露を大塚鈴本亭でした。そのとき、最後に『愛国行進曲』に合わせて踊った。
そして、
「見よ東海の空あけて・・・」から最後に「金鳳無欠揺るぎなき・・・」と言うところで、尻をまくって毛だらけの汚いケツを見せたそうだ。落語家は、パンツなど履いていず、ふんどしだったはずだ。観客は唖然とし、そこにいた花柳章太郎は、「襲名披露でやることじゃない!」と怒って立って帰ったそうだ。小沢昭一のCDに出ている話である。

映画が大好きだった武満徹は、「映画で作曲家が出てくる作品は、いつ見ても変でおかしい」と書いていたが、これなら武満徹も納得しただろうと思う。

監督は、ピアノも弾けて、原節子も惚れていたという伏見修で、この人は結核で若死にした。

長瀬記念ホール OZU

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