ニナガワ映画よりも蜷川的 『ヘルタースケルター』

先週、上大岡東宝に見に行くと満員で入れなかったので、今日はネット予約して川崎のチネチッタに行く。
入りは、8割くらいだが、若い女性ばかり。
まるで、1970年代に大ヒットしたソフト・ポルノの『エマニュエル夫人』と同様で、要はポルノも見てみたいが、普通では行けない女性たちに前衛映画として、気軽に見に来られるようにしたのが大成功だったわけだ。
1960年代のATG映画が、芸術ポルノとして観客を集めたのと同じである。

話は、人気モデルの沢尻エリカの実態と虚構の狭間を描くもので、作品としては1960年代にイギリスの監督ジョン・シュレシンジャーが、ジュリー・クリスティーの主演で作った『ダーリング』に似ている。
だが、ここには『ダーリング』やフリーニの『甘い生活』にあったような、資本主義社会の退廃を批判する視点はなく、むしろ渋谷に屯する子ギャルの言動やファッションを積極的に肯定している。

モデルりりこの沢尻をめぐるマネージャーの寺島しのぶ、母親の桃井かおりらの生態や言動が面白いが、結局は上昇と下降の物語であり、現れてきた驚異の新人モデル水原希子に、沢尻が破綻していく物語である。
途中で、沢尻の精神が破綻したときに掛かる音楽がベートーベンの『第九』である。
この使い方の破天荒さは、篠田正浩もびっくりにちがいない。
篠田は、野崎正郎監督の作品『広い天』の助監督の時、予告編のラストに『第九』の合唱曲をかけて大船の連中の度肝を抜いたのである。

作品としては、脚本が弱いが、それを沢尻の肉体と全体的な絵作りで押し切っていくやり方は、なかなか見事である。
蜷川幸雄が、映画を監督した時には、演劇とは異なり、意外にも普通の作り方だが、蜷川実花は、きわめて演劇での蜷川幸雄のやり方、すべてを絵にして見せる方法でやっている。

その辺は、父親との資質の違いであり、また男女の差でもあるだろう。
蜷川幸雄は、新宿を舞台にしたが、実花は渋谷が舞台であるようだ。
これは時代の差異であろうか。
川崎チネチッタ

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