竹邑類と言ってもほとんど知らないだろうが、ダンサー、振付家、演出家として一部ではかなり有名な存在だった。
私も個人的に付き合ったことはないが、一度だけ彼がする芝居の稽古を見たことがある。
今は「新世界」になった「自由劇場」で、ある日そこで、数ヵ月後に私たちがする芝居の会場の下見に自由劇場に行くと、日曜日の昼間だったと思うが、竹邑が演出して稽古をしていたのである。
何度も若い背の高い女性のダンサーの振付の稽古をしていて、小柄な竹邑が踊って見せていたが、会場には美味しそうなお弁当やサンドイッチのバスケットがあった。
なんとも楽しそうな稽古風景で、まるでピクニックにようだった。
「まるでお遊びで、本当に楽しそうでいいなあ」
と言うのが演出の友人と私の感想で、ダサい学生劇団出身のわれわれとは随分と雰囲気が違うものだなと思った。
その後、自由劇場では、「オン・シアター自由劇場」として、串田和美、竹邑類、家高勝らの小集団が順に作品を上演するようになり、竹邑類も、ザ・スーパー・カンパニーとして、非常に軽いミュージカル、ショーのような舞台を見せてくれた。
それは、「菜の花飛行船」と自ら名乗るもので、なんとも不思議な作品だった。
芝居のような短いコント、ダンス、ショー、歌等が混在したもので、当時他にはないもので、「これは面白い」と私は毎公演ごとに見に行った。
一時は、新宿のモーツアルト・サロンという場所を拠点にしていたこともあった。
彼は、もともとはパントマイムやダンスを習っていて、ダンサーとしては相当に有名な存在だった。
森繁久弥主演のミュージカル『屋根の上のバイオリン弾き』の時、振付と最初のシーン、屋根の上でバイオリンを弾く男は彼だったのである。
そうした関係か、東宝や宝塚関係で、かなり多くの振付をやっていた。
先日、ラピュタで見た堀川弘通監督の映画で、鳥居恵子主演の『学園祭の夜・甘い経験』では、彼女が行くサイケ・バーの男として竹邑が出ていて驚いたが、他にも何本かの映画で振付をしているようだ。
彼の劇は、私は結構好きだったのだが、途中で行くのをやめた。
理由は非常にくだらないのだが、彼の公演の観客には、新宿2丁目の方々のような人が大変に多く、そうした趣味のない私には苦手だったからである。
新聞では、喪主は妹さんになっているが、やはり、そうだったのかと思った。
彼は、言って見れば、現在日本演劇界一の売れっ子演出家・宮本亜門の先駆けのような存在だったと言えば、その意味がわかるだろうか。
ともかくきわめてマイナーな存在だったが、特異な才能を示した人のご冥福をお祈りしたい。