練馬の武蔵関までに行き、東京演劇アンサンブルの『僕はエルサレムのことを話しているんだ』を見た。
かつて劇団三期会といい、新劇の中堅劇団だったこの集団は、本郷淳、塚本信夫らの地味だがなかなか良い役者がいた。
調べてみると、愛川欽也も初期にはいたようだ。
今では、溝口健二の映画『赤線地帯』等に出ている入江洋祐だけが創立以来のメンバーとして残っているようだ。
劇は、なつかしいイギリスの劇作家アーノルド・ウェスカーの三部作の1本で、内容については別に書くが、中で主人公たちの叔母さんで、組合のオルグ(こういう職業が英米にはあり、彼らは専門的に組合を組織し、運動を行うことを仕事にしている)をやっている女性が、会話をしながら、毛糸の編み物をしている。
だが、この若い女優は、編み物ができないらしく、どう見ても適当に両指と編み棒を動かしているだけだった。
この世代では、家庭科でも編み物を習わなかったのだろうか。
私は、一応中学で習った。
もちろん、今やれと言われてもすぐにはできないが。
編み物については、先日書いた中山千夏の本に面白いことが書いてある。
それは、彼女が成沢昌茂監督の名作『裸体』に出たときのことである。
故郷の浦安に戻った主人公の嵯峨三智子が、町のタバコ屋で、タバコを買ってふかしながら、自分のことを語るシーンだそうだ。
もちろん、私は見ているが、すっかり忘れていたが。
そのタバコ屋の店番の娘が中山千夏で、彼女は編み物をしているが、嵯峨の言葉に、その手を止めて嵯峨を見上げるというものだったそうだ。
だが、中山は編み物の裏編みができず手が止まってしまった。
すると嵯峨三智子は、
「あら、この子、裏編みができないわ」と言って直ぐにやってくれたそうだ。
1960年代は、かの大女優山田五十鈴の娘の嵯峨三智子ですら、編み物ができたのだ。
毛糸のセーターから靴下まで、普通の人は、自分で編んだ物を使っていたので、編み物は必修の家庭の仕事だった。
だが、今やなんでもスーパーで安価に物が手に入るとき、編み物も不要なものになったのだろう。
コメント
編み物を習ったんですか?
さすらい日乗様。私のブログへコメントどうも。
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180
でも、僕は編み物の件は気付きませんでした。というより、編み物を知らないです。中学で習ったんですか?確かに小学校では家庭科がありましたが、僕の体験では中学は厳密に「技術・家庭」が男女別に分かれていました。
「エッグ」もチケットが取れないからいいやと思っていましたが、是非見てみたくなったところです。
では、また。
ありがとうございます
緒方さんたちは、一番家庭科が軽視されていた時代なのでしょうか、あの女優も同じかもしれませんね。今は、男女共修になったはずだと思いますが、これは良いことだと思います。
あの女優も一応、練習はしたと思う。でも、自然に手が動くという感じにはなっていず、明らかにやったことがないと見えました。
リアリズム劇は、こういうところはきちんとやってくれないと成立しないので、ひどい。
考えると、昔は靴下の穴のつぎあてなども家でやっていました。家で、母や姉たちがやっていたので、見ていて自然にできたのだと思う。
「エッグ」は、普通では取れないので、知り合いに頼んで取ってもらいました。
内容的には、やや肩透かしでした。
野田も「独白の陶酔」に飽きたのではないかと思いました。
出来る出来ないではなく
出来てる様に見せる技量が大切でしょうね。
芝居になればいいのですから。
追伸
ブログ主さんはたかが編み物くらいでぐちゃぐちゃ言うのって…ずいぶん小さな方ですね。
演技についてはもっと言いたいことがあるが
本当のことを言えば、役者の演技は昔で言えば学生劇団以下だし、今アーノルド・ウェスカーをなぜ上演するのか、そうしたことにもお聞きしたいことはある。
しかし、平田オリザや岡田利規らのくだらない芝居が評価される今日、こうした劇を上演する意味は大いにあると思います。
それだけにリアリズム劇は、どうでもよい小さなことをきちんとやることがまず第一だと思うのです。
今井正の名作『夜の鼓』のとき、金子信夫から迫られて、「待って!」という台詞を言うのに有馬稲子は3日間テストを繰り返えさせられたそうです。
その意味ではむしろ、大乗的見地で批評しているつもりです。