『神々の汚れた手』 奥野正男(梓書院 2004年)

1980年代から宮城県等で、10万年前の旧石器時代の多数の石器を発掘されたとして、「世紀の発見、考古学の常識が塗り変えられた」とマスコミで大騒ぎされた。だが、2000年10月毎日新聞のスクープ写真で、「神の手・藤村新一」の発掘が、捏造だったことが明らかになった。

そして、それは学会の調査で、藤村氏の行為であるとして、決着された。

だが、この本の著者奥野正男氏は、石器捏造は、藤村氏一人の行為ではなく、彼らを指揮して発掘を進めた、当時は宮城県職員で、後にはこの発見の功績等で文化庁職員となる岡村道雄氏が、捏造の真犯人であると示唆している。旧石器とされたのは、ほとんどは縄文時代のものだったそうだ。

真犯人特定の理由は、いろいろ書かれているが、旧石器時代の石器の形状、時代判定等に全く知識がない、ただの石器マニアの藤村氏にできるものではないこと。

きちんと旧石器時代の地層から、岡村道雄氏の著書での予言どおりに石器が出土したことは、岡村氏の強い関わりがあったと言うのは説得力がある。

ただ、この本の記述は重複が多くて非常にわかりにくく、肝心の実証がどこにあるのか不明な部分が多い。

奥野氏は、さらに考古学会、文化庁官僚、国立歴史民族博物館長等の責任にも言及している。

この辺は、かつて民主文学同盟に所属したこともある奥野氏の本心なのかもしれない。

そして、この本を読んで対j編興味深く思ったのは、奥野氏は、邪馬台国九州説の一人であることだ。

私は、邪馬台国について特別な知識はないが、かの事大主義の国の中国が、北九州の地方政権に過ぎないはずだった九州政権を、日本の政権と認めるとは思えないからである。だが、九州や西日本の人たちが、邪馬台国が九州にあったと思いたい気持ちは十分に理解できる。

それは古代史への夢そのものだからだ。

一方、この旧石器捏造事件は、東北の考古学の民間研究者によって担われた。

どちらも、民間の、在野の研究者の方が多く活躍されており、それは大変素晴らしいことだと思う。

日本の学会、学問の研究活動は、大学や研究所という狭い世界のみで行われて来たが、それは決して良いことではなく、在野の研究者によってさまざまな研究が行われることは極めて好ましいことである。

だが、そうした人にとっては、やはり研究の結果の希望、夢が必要であり、それが邪馬台国九州説と旧石器捏造事件の原因の一つになったのではないか、と私はこの本を読んであらためて思った。

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