吉永小百合の出演映画で、その題名からどういう作品かと思っていたら、チャンネルNECOで放映された。
1960年の日活、森永健次郎監督作品。
森永は、森永キャラメル、江崎グリコと言われ、1960年代中頃は、文芸作品であれ、アクション映画であれ、歌謡映画であれ、なんでも作る人だった。
最後には、東宝で山口百恵、桜田淳子、森昌子の『花の高2トリオ』映画まで撮っている。
これは、製作が良心的作品が多い大塚和で、タイトルが綺麗なので、あるいはと思うと、撮影はやはり間宮義雄だった。
間宮は、大映から日活に来たカメラマンで、主に蔵原惟繕作品を担当し、日活史上最高作の『憎いあンちくしょう』の他、三島由紀夫原作の『愛の渇き』も撮っている。
この『愛の渇き』は、三島由紀夫が、「自分の小説の映画化で最高は、市川崑の『炎上』と蔵原の『愛の渇き』だ」と断言した程の傑作で、公開当時見て、
「本当に美しい画面だな」と思ったが、内容はまったく理解できなかった。
後に、この浅丘ルリ子と義父中村伸郎の不倫は、ロマンポルノ作品で無数に描かれることになるのだが。
『美しき抵抗』は、アメリカの製薬会社の日本法人の優秀な研究員が、アメリカ本社の研究所に引き抜かれ、羽田空港でのぼり旗を立てて見送りしているところから始まる。
この時期、海外に行くことは大事件で、羽田空港や横浜港では、盛大な見送りが行われたのである。
見送りの群れの中に、製薬会社の事務員の沢阿由美がいて、彼女は、やはり医学の研究者で大学にいる北沢豹とその妻高野由美の次女である。
三女の高校生は吉永小百合で、工場の管理栄養士らしい香月美奈子が長女。
それぞれに、梅野泰靖、沢本忠雄、浜田光夫(光曠)が当てられていて、その後も多く作られた三人娘もの(四人もあった)の始まりかもしれない。
北沢豹は、非常に真面目な研究者で、製薬会社からスカウトに来ても、研究に専念したいと断ってしまう。
そのため家は貧しく、高野はミシン仕事をしている。
ある時、次女がダンスパーティーで酔って帰ったとき、北沢は娘を叱って撃つ。
すると次女は、
「お父さんは自分勝手よ、自分の研究ばかりで、お母さんや子供のことは一切考えていない!」と強く非難する。
外では温厚で、柔和な男も、家では暴君と言う「家族帝国主義」は、この時代よくあったことだが、この映画が批判しているのは、結構時代を先取りしていると言える。
意外にも森永健次郎は、時代に敏感で、新しいところがあるなと見直した。
最後、北沢豹は、大学時代の友人の伊藤寿章がやっている病院の内科部長になり、家も幸福になることが暗示されて終わる。
因みに伊藤寿章は、沢村昌之助で、伊藤雄之助、沢村宗之助兄弟の末子で、北沢は、PCL,東宝の知的な二枚目で、上品な役柄が多く、当時では貴重な男優だった。
吉永小百合が、高校で人形劇をやっていて、三多摩の農村に優れた演劇を持っていく、と張り切っているところが時代である。
チャンネルNECO