1947年、日本における女優第一号の田中絹代の松井須磨子と山村聡の島村抱月との恋を描く映画。
よく知られているように、これは1947年に東宝の衣笠貞之助監督、山田五十鈴主演との競作になった松竹京都作品で、監督は溝口健二である。
この溝口版は、衣笠版に対して劣ったものとされ、キネマ旬報ベスト10でも衣笠作品は5位だが、溝口は14位である。
これを見ようと思ったのは、音楽が大沢真人と知ったからだが、音楽は『カチューシャの唄』の編曲版がところどころに流れるだけである。
溝口演出の田中絹代の熱演では、音楽を入れるところがなかったのだと思う。
坪内逍遥が主催する文芸協会では1913年、島村抱月の演出で新作に『人形の家』をすることになるが、主人公のノラ役の女優がいない。
その時、抱月は夫の前沢を力づくで追い返す女の松井須磨子を目撃し、この人しかいないと確信し、舞台は大成功になる。
だが、妻子ある抱月と須磨子が恋に落ちてしまい、家庭も大学の教職も文芸協会も追われる身となる。
そして、彼らは芸術座を作り自分たちのやりたい芝居を上演する。
遠く満州、台湾にまで巡業公演し、京都のオリエントレコードで吹き込んだ1914年の『カチューシャの唄』は2万枚の大ヒットになる。
当時の舞台の再現が見られるのは貴重で、もちろん本物ではないが、感じは結構分かる。
田中絹代のタランチュラ踊りなどは笑ってしまうが。
田中も『復活』の舞台のシーンで『カチューシャの唄』を歌うが、これは本物の松井須磨子のレコードよりもはるかに上手い。
松井須磨子のレコードは、今聞くと到底売り物にならないレベルの歌唱である。
ただ、その素人らしさが、ある意味で大ヒットになった理由だと思う。
なぜなら、明治時代からこの大正時代まで、日本で歌を歌うのは、芸者、寄席芸人、クラシックの声楽家で、普通の素人女性が歌を歌うことはなかった。
ある意味で、松井須磨子の歌のAKB48のような、女優とは言え素人臭さが大ヒットの理由だったのではないかと私は思っている。
言うまでもなく、島村抱月はカゼ、すなわちインフルエンザのスペイン風邪で急死してしまい、須磨子はすぐに彼の跡を追って自殺する。
田中絹代は、異常なほどの頑張りだったという松井須磨子をまさに適役で演じている。
小沢栄太郎が、劇団の仲間で片腕的存在だった中村吉蔵を演じ、その他青山杉作が土肥春曙を演じるなど歴史的有名人が沢山出てくる。
それほどひどい作品ではないと確信した。
横浜市中央図書館AVコーナー