『無法松の一生』

前から見たかった作品の一つ、阪東妻三郎や三船敏郎主演の名作ではなく、1965年大映で勝新太郎の主演で作られたもの。

監督は三隅研次、吉岡少尉は宇津井健、その妻は、有馬稲子である。

また、ヤクザの親分結城十蔵は宮口精二、無法松の同輩が遠藤辰雄となかなか良い配役である。

音楽は伊福部昭で、例によって重厚な響きを聴かせる。

筋は、脚本伊丹万作となっており、阪妻版に沿ったものになっているが、多少は変えてある。

冒頭、夕闇にカラスが乱舞する貧民街のところの描写など、時代考証はきわめて正確ですごい。

当時、三隅、田中徳三、池広一夫ら大映生え抜きの監督は、

「細かい描写、時代考証には凝るが、作品のテーマの力強い展開がない」と言われていたが、確かにその傾向はある。

言うまでもなく、小倉の人力車夫で無法者の富島松五郎が、ふとしたことから軍人の吉岡少尉に知り合うが、彼はすぐに死んでしまうが、脳梗塞だろう。

父親の死後、残された長男を励まし、強い男に育てるのが松五郎だが、そこには吉岡未亡人への思いもあった。

確かに有馬稲子はきれいで、しかも芝居は上手い。

勝新は、相手役が上手いと張り切る役者で、ここでは有馬や宇津井健、さらに宮口精二相手に非常に頑張って演技している。

全体として、阪妻はともかく、1955年に稲垣浩が再映画化した三船敏郎・高峰秀子版よりも、勝新太郎版は、役のニンという点では合っていると思う。

もちろん、戦中版では削除された松五郎が未亡人のもとを訪れ、愛を告白するところも再現されている。

そして、クライマックスは、熊本五高から帰郷した息子と先生に聴かせる、松五郎の小倉祇園太鼓の連打。

ここは、音楽のセンス抜群の勝新なので、他の作品よりも圧倒的に優れていると思う。

ただし、原作の『富島松五郎伝』で有名になった小倉祇園太鼓の弾法は、岩下俊作が創作したもので、本当の祇園太鼓とは違うものだったのである。

1984年の2月、指定都市市会議長会が北九州で開催され、私は大久保英太郎議長に随行して北九州に行った。

昼の会議が終わり、夜は伊藤博文など明治の元勲も来たという有名な料亭での懇談会になった。

そのとき余興として、小倉祇園太鼓が保存会で披露されたが、その奏法は、映画で「かえる打ち」と言われている、ごく静かなもので終始した。

終了後、大久保議長は、北九州の議長にこう言った。

「祇園太鼓というので、もっと勇壮なものだと思っていたが、こんなものだったの、私は本当にがっかりした」

祇園太鼓は、本来そういうものだったのである。

もちろん、現在は全国的な太鼓ブームの中で、派手で大げさなものになっているらしいが、それが観光化というもので、当然のことだが。

松五郎の死と莫大な預金の披露もあっさりしたものだが、三隅らスタッフの大映京都の先輩、伊丹万作、稲垣浩、宮川一夫らへの尊敬が感じられた。

余り知られていないが、勝新太郎の中では優れた作品の一つだと思った。

神保町シアター

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コメント

  1. uhgoand より:

    礼法の街
    小倉祇園太鼓は鉦と合わせて軽やかにリズミカルににぎやかに
    数人で順に打つのが特徴でわざとらしい独演で大仰に打つのはまったくの創作で
    映画や歌や芝居の世界 また世間一般の勝手な思い込みである

    最近は暴力団と無法のイメージが強いが 元々小倉藩は細川家~小笠原家が藩主で
    礼法の家(小笠原礼法指南)としていまも市民生活にその残り香があり
    気の荒いこととは対極の位置にある

  2. 誤解されていますね
    コメントありがとうございます。
    この小倉祇園太鼓への誤解は多く、松本清張は、この太鼓の響きが、人兵士の潜在意識を呼び起こし、占領軍から反乱を起こす「人種差別的」小説の『黒地の絵』を書いています。
    これは松本清張がなんとしても映画化したくてできなかった小説ですが、映画化されなくて良かったと思います。