『俺の背中に陽が当たる』

1963年秋、傑作『泥だらけの純情』に続く、吉永小百合、浜田光夫、監督中平康の作品。

浜田というと、チンピラ的な役が多いが、ここではヤクザで刑期を終えて出所し、まともに更生しようとしている兄内田良平の弟。

彼と友人の小沢直好は、ビルの窓拭きの作業員で、内田もヤクザから足を洗い、同じ作業員生活に入る。

だが、内田の能力を高く買う親分の山内明は、執拗に内田の組への復帰を誘い、駄目とわかると内田を殺人犯に仕立て、さらにチンピラに殺させてしまう。

普段は、悪人役の内田が善玉で、善良な役の多い山内が悪玉なのが珍しいが、それ以上のものではない。

内田が殺されて、浜田は会社をクビになり、山内の組に入ることにする。

だが、その真意は、兄内田の殺人事件の真実を明らかにするためなのだが、そこがよくわからない。

最後は、勿論山内らの悪事が暴かれ、浜田と小沢は無事窓拭きの仕事に戻ってハッピーエンド。

二人が拭いているビルは、日比谷の日活国際会館である。

監督の中平康は一部で高く評価されているが、私は彼の技巧性をあまり評価しない。

増村保造に比べても、中平は自分以外の役者もなにも信じていないからである。

若い頃の中平がいかに凄かったかは、『狂った果実』や『殺したのは誰だ』を見ればよくわかる。

その前の松竹大船時代、川島雄三監督の『真実一路』の予告編を助監督の中平が作ったとき、篠田正浩は大変な衝撃を受けたそうだ。

その予告編が持つ、監督川島雄三への批評性に対してである。

だが、中平の良さは、私は『紅の翼』『あいつと私』『泥だらけの純情』のような娯楽作品の方にあると思う。

1960年代当時、『映画芸術』に掲載された中平の、ビリー・ワイルダーの『あなただけ今晩は』の批評を読んで驚いたことがある。

ワイルダーのような上質の娯楽作品を作りたいと書いていたが、それが彼の本心だったとすれば、やはり彼の師匠の一人の川島雄三となる。

だが、中平には、川島雄三のような現実への批評性も、同時に今村昌平以下の「川島信者」を作り出すような人間性もなかった。

中平の映画をよく見てみると、その社会への認識は、意外にも平凡で、そこに増村保造のような現実否定はない。

その辺が私にとって、中平康がつまらない点である。

彼の遺作『変奏曲』のひどさは、日本映画史に残るものだが、よくもこんな程度の映画をATGが上映したものだな、と思うほどである。

それにしても、浜田光夫の歌は下手だな。

チャンネルNECO

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする