浪曲に泣く

浅草のアミューズミュージアムで行われたイベント『The 浪曲』を見に行く。

ちようど三社祭りで大変な人混み、

地下鉄から祭りの人ごみを一切無視し、ひたすら北上してアミューズミュージアムに行く。

ビルの6階の会場で、座敷の広間と椅子席があり、観客はざっと40人くらい。

まずは、シンポで小林渡と山田直毅のトークで、浪曲の歴史のお浚い。

内容は、ほぼ知っていたが、1954年に作られた浪花節映画『赤穂義士』は初めて知った。

翌日に小林さんにメールで教えてもらったところ、脚本池田富保で、監督は荒井良平、主演は黒川弥太郎で、そこに浪曲市の語りで映画が進行するもの。

深作欣二によれば、浪花節映画には「母もの」が多かったそうだが、忠臣蔵はまさに王道なのだろう。

続いて、玉川太福、澤雪絵、東家一郎太の短いものがあってここで、お中入り。

後半は、「至芸の世界」とのことで、富士路子の『杜子春』  東家浦太郎の『大岡越前と天一坊』 そして浪曲協会会長澤孝子の『徂徠豆腐』

どれも素晴らしかったが、富士の芥川の『杜子春』の最後のところで、主人公の子春が、母親の愛に思わず「お母さん」と言ってしまうところは涙が出た。

東家と澤は流石で、浪曲の持つ魅力を十分堪能した。

明治から昭和30年代まで、レコード、ラジオ、実演、映画で大人気だった浪曲が、急に人気を失ったのかは日本芸能史最大の事件である。

多分、浪花節が人気を失った1960年代中頃に、それに代わって出てきたのが演歌だったと言えるのではないかと思う。

三波春夫や村田英雄らの演歌の頂点にいた歌手が、浪曲出身だったことも無縁ではないはずだ。

以前、古臭い筋書きの否定的な形容として「浪花節的」と言われたが、これはいつごろから言われるようになったのだろうか、一度調べてみたい。

アミューズミュージアム

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