スキヤキの二日目の日曜日の午前中は、再び城端線に乗って城端駅に行く。
駅の端には、映画『夜叉ヶ池』のロケハンに使われたことの看板も立っていた。
『夜叉ヶ池』は、名作だと思うが、著作権の問題があり、再上映もDVD化もされないのが大変残念な作品である。
バスで、城端駅から城端の中心街に行く。
そのバスは、高岡から福野等を通り、利賀にまで行くもので、ホテルの人の話では、昔は1時間に1本くらいあったそうだが、今は一日4本くらいになっている。
さて、まず城端の曳山会館に行くと丁度団体客に説明しているところだったので、団体に紛れて話を聞く。
山車は、京都の祇園祭のようなものだが、少し小さいらしく、重さも軽いとのこと。
団体が出て行った後、説明の方に聞くと非常に詳しく説明してくれた。
最初に聞いたのは、中央の道路が広いので、「昔からこんなに広かったのですか」
もちろん、昔は半分位の道幅で、両側の家をそれぞれに後退させて、道を拡げたとのこと。
「両方しないと双方に補償金が出ませんからね」とのこと。なるほど区画整理の補償金だろう。
加賀藩は、この奥の村で養蚕をし、そこからできる硝石を作っていたこと、また絹織物があり、それを京で販売していたこと、
江戸時代以後、関東が開けるまで、京の都に米を提供していたのは、この加賀の砺波平野であることなどをお聞きする。
昔は、城端が中心の町で、福野や福光は、ただの田んぼで何もなかったことも教えていただいた。
ただ、城端は伏流水になってしまうので、水には恵まれなかったそうだが、確かに福野の水は、非常に美味しい。
その後、歩いて川島地区を行く。川島地区は、川島織物の川島氏が出たところでもあるそうだ。
川島織物といえば、京都の名門企業で、劇場の緞帳でもよく知られた会社だが、ここが元とは知らなかった。
さて、昼はかねしまという会館近くの店で取るが、これが非常に美味しかった。
加賀の料理は、この地の旦那衆が、京都に物を売りに行き、自分が味わったものを再現させたので、美味しいのだそうだ。
真宗大谷派別院は、工事中で本堂には入れず。
バスまでの時間を喫茶店で過ごした後、高岡に向かうバスで、福野に戻る。
丁度3時近くで、テントでのベリーダンス・ショーを見た後、ヘリオスステージに、ブラジルのアントニオ・ロウレイロは、フージョンで十分に退屈した。
フェスティバルでは、こういうのも入るのは仕方のないことであろう。
そして、最後はジンバブエの大スターのオリヴァー・ムトゥクジの公演、これは実に最高だった。
彼自身のギターと歌の他、ドラム、パーカッション、サイドギターに若い二人の女性コーラス。
この女性も非常にセクシーで良かった。
オリヴァーの音楽は、基本的には、アフリカで最初に生まれたポピュラー音楽といわれ、特に西アフリカで盛んだったパームワインミュージックのような緩やかなもの。
パームワインミュージックの代表的スターは、シェラレオーネのS・E・ロージーおじさんで、ウォーマッド横浜にも2回来たが、ギターとカラオケセットのみで現れた。
カセットにリズム隊が収められていて、それと彼のギターのみで、1992年は臨港パークの観客全員を踊らせてしまった。
時々は、女性コーラスと合唱し、リンガラ、ルンバコンゴレスのような感じもやったが、とも各大変な貫禄とパワーだった。
約1時間のライブが終わって会場の外に出ると、大雨。
テントでは、イベントの興奮に別れ難いのだろう、フィナーレで若者が気勢を上げている。
もちろん、夕立ですぐに雨は上がったので、駅近くまで歩いて焼き鳥屋で飲んで戻る。
テレビでは、「24時間テレビ」のフィナーレをやっていたが、どこが面白いのだろうか。