みんなに小遣いを配っていた長谷川一夫

返却が遅れていて催促が来た本があったので、野毛の中央図書館に本を返しに行く。

そのついでに5階に上がり、照明技師の熊谷秀夫さんの本を読む。

熊谷さんは、戦後大映京都に入り、製作再開後の日活で技師となり、多くの作品の照明を野口晴康から浦山桐郎、鈴木清順、さらに西村昭五郎のロマンポルノまで担当された。

フリーになってからは、相米慎二、長谷川和彦作品などもやっている。

日活時代の野口晴康というのも傑作な監督で、大変な多作だった。

結構良い映画が多かったが、すべて娯楽アクション映画なので、当時も今も、まったく評価されていない監督だが、私はかなり好きな方の監督だった。

彼は、多作家なので、いつも次の作品の脚本を持って撮影していたそうで、次のが来ないとご機嫌が悪かったそうだ。

そして、次回作の脚本の出来が悪い時は、不機嫌だが、その時、製作部は「この次は良いのを回しますから」というとすぐにご機嫌が直ったそうだ。

だが、熊谷さんの本で一番傑作なのは、大映京都時代の長谷川一夫のことである。

長谷川の照明は、戦前から藤林甲という人がやっていて、長谷川の顔中にライトを細かく当て、問題の頬の傷を見せなくさせ、色男に見せるもので、照明は大変だったそうだ。

しかも、長谷川は、どのライトがどの程度の照度になっているかも分かったそうで、違うと指摘して修正させる非常に照明に煩い役者だったそうだ。

だが、撮影が終わると、若いスタッフに5、000円を、山田五十鈴や山根壽子にも3、000円位のお小遣いをあげたとのこと。

これって凄いが、多分芝居の世界の習慣ではないかと思う。

昔の歌舞伎の世界では、座頭がほとんどの収益を取り、それを脇役から裏方以下に配布する、それがやり方で、給料制や契約制などは存在しなかった。

こうした配分方法というか、お小遣いは、昔々のお大尽や「お殿様」にはよくあったことである。

私も一度だけ、偉い方からお小遣いをもらったことがある。

多分、1982年の12月28日、役所の御用納めの日、当時横浜市会議長の相川藤兵衛さんから、

「これ」とポチ袋を差し出され、

「なんですか」と聞くと

「いいから取っておけよ」と言われた。

机に戻って開けると、5、000円が入っていた。

金沢のお大尽の相川さんにとって、議長秘書の私などは、ただの使用人の一人にすぎないのだなと思ったものである。

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