言うまでもなく、井上ひさしの戯曲で、宮沢賢治を描いた作品だが、劇の主人公は幕が進むにつれて、賢治から無名に死んでいく民衆になって行く。
宮沢賢治は、現在でこそ、「雨ニモマケズ」がCMに使用されるほど有名な作家だが、生前には全く知られていなかった。
唯一、生前に出版された2冊の本『春と修羅』『注文の多い料理店』も自費出版で、それも売れず、父の金で賢治が買い取ったほどだった。
彼が生前に受け取った原稿料は、ある雑誌に書いた童話『雪渡り』だけで、5円だったそうだ。
そして、様々な新規の農業、文化事業、宗教活動をするがすべて上手く行かず、昭和8年、37歳で死んでしまう。
彼の生涯、企てたことは、常に矛盾するものだった。
家の事業である質屋・古着商を嫌い、貧しい農民に憧れ奉り、自分も農民になろうとし、野菜を作るが、それはトマト、レタスの西洋野菜で、とても普通の人が買って食べるものではなかった。
彼のそうした矛盾を突くのが、刑事の辻萬長との場面で、エスペラント語の学習を通じ、賢治(井上芳雄)の矛盾、世間を知らないただのお坊ちゃんであることが明かされる。
所詮は、大金持ちだった宮沢家、父親の絶大な庇護と財力によってすべてが行われ、賢治の理想主義によってすべてが失敗していったのである。
そして、彼は「自分は何をやってもダメな木偶の坊だ」と思う。
日蓮宗国柱会への信仰をはじめ、彼の誤謬をあげつらうことはやさしいことにちがいないが、すべての道は誤謬の上に生まれることを忘れてはならないだろう。
彼の企てが当時の人と社会に受け入れられなかったのは当然である。
『注文の多い料理店』に典型なように、宮沢賢治の発想と言語感覚は、普通の人とは全く異なる異次元のものだったからである。
それは逆に言えば、彼が本当の天才だったことの証であるだろうが。
そして、彼を取り巻く普通の人々は、「思い残しの切符」というのを舞台に残し、劇列車に乗って去ってゆく。
これは、この世に様々な思いを残して死んでゆく民衆のことである。
ここでは、井上ひさしの晩年で出てくる、天皇制や日本の社会全体への批判はまだない。
井上芳雄と辻萬長の他、車掌役の「みのすけ」などの演技が良い。
その他、4人の男女の役者によって演じられる、餅つきの大道芸人の件が珍しく、大変に興味をそそられたが、こういう芸人は確かにいた。
裸の男の腹に臼を置き、そこで女の三味線弾きに合わせて餅をついてみせ、観客に配って売るというものである。
どこかで見たような気もするし、テレビで無名の芸人がするのを見たようにも思うが。
演出鵜山 仁。
紀伊国屋サザンシアター