いわゆる芸能評論家と名乗るひとも沢山いるが、私は、この矢野誠一が一番好きである。文章が良いし、見方に偏りがなく、変に偉ばったりもしない。
誰が嫌いかは、ここには書かないが、わかるだろう。
矢野を評価する理由の一つに、この人は芝居がわかっていることがある。彼は、高卒後、劇団七曜会に入り、演劇の裏方をやっていて、昨日見た映画『充たされた生活』でも出てきたが、安保反対新劇人会議の事務局なんてこともやっていたそうだ。
日本の芸能は、基本的に歌舞伎、新派等の芝居を基にしているので、演劇の知識なくしては、大衆芸能は理解できないのである。
その点、彼の芝居の見方も非常に公平で、的確である。
さて、この本はどこかの古本屋で買ったもので、一応三遊亭円朝の生涯をたどったものである。
円朝というと、その話の大半が、江戸の庶民のことなので、江戸時代の人間のように思われるかもしれない。
だが、彼は天保10年に生まれ、明治維新の時は30歳で、その後明治33年まで生きたのだから、半分は江戸だが、その後半生の名作は、明治になってから作られたものなのである。
名作『塩原多助一代記』も実は、明治になってから作られたのであり、それは、河竹黙阿弥の名作劇の大半が明治時代に作られたことと同じである。
それは、言ってみれば、山田洋次、渥美清が作り上げた車寅次郎が、すでに昭和の庶民世界には存在しなかった人間だったからこそ、映画世界の人間像として成立したのと同じである。
円朝が語り、作り上げた江戸の庶民とその世界は、いわば完全な小さな政府による自己責任社会で、何かのきっかけで成功し、栄耀栄華を得るが、そこに安定はなく、何かのしくじりですぐに底辺に落ちてしまう、有為転変の常なき世の中なのである。
その筋書きの面白さは、今日のミステリー、サスペンス小説に一喜一憂する読者と同じだろうと思う。
この本には、円朝が明治維新後、明治政府の有力者の一人となった元幕臣の山岡鐡舟と知り合い、近づいていくことも書かれている。時代と政府にすり寄らざるを得ないのが芸人であるのだから。
明治33年、彼は死ぬ。後3年に来ていてくれたら、私たちは、彼の肉声を聞くことができたのだ。
明治36年には、イギリス人技師ガイズバーグが来日し、外人落語家快楽亭ブラックの手配で、当時の日本の芸能、音曲のほとんどすべてを録音し、今日われわれもSP盤の復刻として聞くことができるのだから。
もちろん、彼の語りは、速記本からの復刻で十分に読むことができるのは、実にありがたいことである。