『土砂降り』

東京フィルメックスでは、生誕100年で松竹の監督中村登を特集しており、他は見ているので、普段上映されることのない『土砂降り』を見る。

中村登と言えば『古都』や『集金旅行』『修善寺物語』を代表作とする文芸ドラマが多く、中庸的で穏健な作品であり、時として不満足な感じも与えることが多い。

だが、これは非常に苦い味の作品で、木下恵介の傑作『日本の悲劇』を通俗的にしたような作品だった。

主人公は岡田茉莉子と佐田啓二で(映画のでは「役所」と言っているが、新聞記事では、全購連のようだが)、二人は同じ職場にいて、相思相愛の仲だった。

上司がその仲を察知して、結婚を取り持ってくれるが、なぜか岡田茉莉子は、父親の山村聡のことを小さい時に死んでいる、と佐田に嘘をつく。

佐田の母親高橋豊子が、岡田の実家に来るが、そこは連れ込み旅館で、あられもない男女の痴態に恐れをなして、高橋は佐田の結婚に猛反対する。

佐田は、一人息子なので、「亡き夫に立派な人間にすると誓ったあんな温泉マークの娘、しかも母は妾の娘に」と岡田との結婚は絶対に許さないという。

岡田茉莉子は長女松子で、長男は大学生の田浦正巳は竹之助、そして女学生の桑野みゆきは梅代と笑わせるが、山村聡は、日本橋で毛皮店をやる一方、沢村貞子を愛人とし、彼女に下町で連れ込み旅館をやらせている。

場所は、SLの走行が頻繁に出てくるが、田端の操車場あたりと思ったが、南千住らしい。

今考えれば、この妾に旅館をやらせるというのは、巧みな経営術とも言えるが、この時代では温泉マークは、明らかに賎業だった。

傷心の岡田は家出して一人神戸に行く。

2年後、岡田が働いているキャバレーに、佐田啓二が現れる。

いまさらなによと反発する岡田だが、佐田は、もう東京に戻れない身だと新聞を見せる。

そこには、二人の職場だった全購連での汚職事件が報じられている。「上の者は、下にすべての責任を押し付けてくる」と佐田は言う。

この辺から映画は破局に向かっていく。

沢村は、警察で二人が神戸や京都にいたことを知らされ、高橋豊子からは、妾で温泉マークをやっいる家の娘だから、妻子のある息子を誘惑し、汚職の原因も岡田だとなじられる。憎々しい高橋が非常に上手くて笑わせてくれる。

そして、岡田と佐田が家に戻ってくるが、その夜、岡田は佐田を殺して自分も死ぬ。

この二人を見つけるのが、スケベ親父の中村是公で、小さな役をきちんとした役者が演じているので、映画に厚みがある。

佐田と岡田の葬祭場での、高橋豊子の嫌味も沢村貞子一家には、つらい現実である。

最後、桑野みゆきの意見で、旅館をやめ、山村とも手を切り、沢村、田浦、桑野の親子3人で生きてくことになる。

途中で、沢村の「私は今のままで良いのです、捨てないでください」と山村にすがる場面もあるが。

これは何を言っているのだろうか。

言うまでもなく、連れ込み旅館経営を賎業とみなし、妾を賤しい人間と見る世間への抗議である。

男女がそうなったことには、それなりの理由があり、また職業に貴賎はないのだから、温泉マークのどこがいけないのかの作者の考えである。

中村登は、著名な劇作家榎本虎彦の次男で、榎本の死後に母は、清元の師匠と再婚したので、彼自身の思いが反映されているように見えた。

花柳界に育ち、様々な男女を見ている中村にとって、世間一般の道徳には強く反発するものがあったのだろう。

また、この映画は、木下恵介の名作『日本の悲劇』にもよく似た構図であり、後の大島渚の『青春残酷物語』へと続く作品だとも言えると思う。

その趣旨は、戦後の日本の家の崩壊であり、子供たちに裏切られる父と母である。

有楽町朝日ホール

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