『16才の戦争』を見た後、そのまま友人と二人で成島東一郎監督の『青幻記』を見た。
『青幻記』は、一色次郎氏の自伝的な小説を基にしたもので、若くして死んだ美しい母(賀来敦子)への追憶を私(田村高広)が沖永良部島を訪ねるなかに展開するというものである。上質な「母物映画」と言って良いだろう。
これを最初に見たのは、1973年夏で随分感動したが、その日はそれほどでなかった。
友人はもっとそうだったらしく、賀来の演技が昔の「新劇的でおかしい」と言っていた。この母の役は、相当に型にはまった役なので、そうであったわけなのだが。
だが、この日に見た『16才の戦争』の秋吉久美子の演技は、桃井かおりのそれと並んで、70年代以降日本映画から「新劇的演技」を駆逐してしまう演技なのであった。
新劇的演技から秋吉久美子、桃井かおり的演技へ、これがその後現在までも続いている日本の女優の演技であろう。
映画全体への感想としては、母が賀来敦子のようにきれいな母であったら良いな、と言うものであった。
私の母は別に醜くもなかったが、かなり年をとっていたので(40歳の時の子だったので)、同級生たちの若いおかさんに比べると、年だなといつも思っていたのである。