ついに猪瀬直樹東京都知事が辞職することになったが、あのみっともない答弁では当然だろう。
世の中は面白いもので、自分が軽視しバカにした意外な人間に復讐されることは結構あり、松本清張の小説にも沢山あるが、猪瀬直樹の辞職も、その典型の一つだろう。
石原慎太郎をはじめ、安倍晋三ら政府自民党首脳の動き、言動も衝撃だったろうが、やはり猪瀬を追い詰めたのは、都議会の議員たちであろう。
ついに都議会も地方自治法の「百条委員会」を作るとなったことが辞職の引き金だったことは間違いない。
そこに、猪瀬の都知事選挙の選対もになったと言われる、鈴木某元石原慎太郎事務所の者たちも委員会に引出され、石原都政以来の諸問題を調査されては堪らないというのが、石原慎太郎以下の考えだろう。
猪瀬は、都議会をはじめ議員連中をバカにしていて、選挙にしても都議会議員連中の力を頼っていず、「俺の力で知事になった」とふんぞり返っていた。
だが、私も長い間、横浜市だが議会と議員を見て来て、いろんな人がいるが、彼らは決してバカではなく、庶民的なレベルの適正な判断力を持っていて、するときにはするのである。
今回の猪瀬直樹への徳州会の5,000万円の贈与の目的は、やはり東電病院の買収だったと思う。
「東電病院は、新宿区にある」とのみ報道されているが、実は信濃町の慶應病院の隣にある。
劇団文学座のアトリエ公演に行く時、いつも東電病院の前を通っていて、
「ああこれが東電病院なのか」と思っていたものである。
そして、その手前、信濃町の駅前には、石原裕次郎も入院していた慶應病院がある。
全国の病院、医療機関に挑戦してきた徳田虎雄にとって、名門病院である慶應病院の隣の病院を取得することは、徳田グループの全国制覇の象徴としての意義があったと思う。
石原慎太郎の後任の猪瀬直樹をうまく操縦し、東電病院を取得する入札にまで手を伸ばしたがが、東京地検特捜部の徳田グループの強制捜査によって、入札事態となったのは、なんとも皮肉なことである。
世の中は不思議なものと言うしかないだろう。