佐藤利明さんから頂いた『最後のクレイジー・犬塚弘』(講談社)を読む。
クレイジー関係では、植木等の伝記も読んだが、この本がメンバーの関係を一番うまく描いて、クレイジーの成り立ちもよくわかった。
勿論、ハナ・肇がリーダーだが、実は犬塚弘が、ハナの女房役で、グループを纏める役目で、植木等と谷啓は別格のスターだったこと。
クレージーの魅力とは、全員がミュージシャンとしても一流だったことだが、お笑いのセンスがあったこと、
そして一番重要だが、品があって知性が感じられたことだろう。
その典型が犬塚さんで、父親は三井物産で外国勤務もし、彼自身は戦後に文化学院で学んだというすぐれた経歴にあったと思う。
ジャズ、笑い、映画、ステージ等みなアメリカ文化で、それは戦前、戦中でも実は日本の都市の上層の階層には受け入れられていたのである。
そのアメリカ文化は、戦後米軍兵士が日本に駐留することによって、本格的に日本国内にあふれることになり、空前のジャズ・ブームになる。
クレイジーのメンバー全員は、それぞれの場からジャズに近づき、バンドで活動する中で、互いの腕を磨き、自分に相応しいメンバーを選択した。
恐らく、それは才能の問題もあるが、それぞれの出身階層の問題もあったと思う。
今思えば、クレイジーのメンバーの全員が大学等の高等教育を受けていたのは、凄いことであり、それまでの芸能界のヤクザ的な生態とは根本的に異なるものだった。
その意味で、ワタナベ・プロダクションを作った渡辺晋が最初に契約したバンドがクレイジーだったというのは、きわめて象徴的である。
芸能もエンターテイメント産業として、正業なのだという渡辺晋の目論見は、大変先駆的だったと言えるだろう。
犬塚が、個人として映画に出た『ほんだら剣法』シリーズでの森一生監督とのエピソードも大変面白い。
現在のテレビ番組を占領する、下品で無智で、才能なしだけが売り物の「テレビ芸人」とはレベルが違うとつくづく思った。