「怪獣を音で描いた男」

アメリカ版の『ゴジラ』の公開とゴジラ誕生60年を記念して、NHKBSで『ゴジラ』の音楽を作った伊福部昭の特集が放映された。
なにを隠そう、私が最初に書いた原稿は、実は伊福部昭なのである。

1982年の春で、その頃、中村とうようさんが、銀座のテクニクス銀座で「レコード寄席」というレコード・コンサートを毎月やっていた。
それは、その月の注目新譜レコードを中心に、昔のものや、その他特集するレコード等を約2時間かけるもので、非常に面白かった。
あるとき、一緒に行っていた友人と「原稿を書いて来よう」ということになり、翌月私が書いたのは、伊福部昭だった。
丁度『伊福部昭映画音楽全集』が、キングから10枚組で出て、前から伊福部は好きだったので、原稿用紙20枚くらい書いた。

翌月持っていき、「レコード寄席」が終わった時、ブースに行って、中村とうようさんに原稿を渡すと、
「伊福部さんね」と言い、「連絡するから」と別れた。
その原稿は、没になった。

3か月後、映画評と演劇評が採用されて、以後『ミュージック・マガジン』に書くことになったのである。

因みに、伊福部昭で、好きなのは『ゴジラ』の他、『緯度0作戦』、そして『座頭市物語』となるが、『足摺岬』のような抒情的な作品も好きだが。

『ゴジラ』には、戦時中の米軍の空襲の恐怖の記憶があると思う。
ゴジラを見上げて、逃げ惑う庶民の姿には、B29の空襲の恐怖が反映されているはずである。
戦時中の日本国民にとって、圧倒的な威力で地上のものすべてを破壊する米軍の空襲は、まさに怪物的であったに違いない。
そのことがわかるのは、松竹のメロドラマの傑作『君の名は』の冒頭の空襲のシーンである。
この空襲のシーンは非常に迫力があり、「松竹にもこんな特撮技術があったのか」と最初に見たときに驚いた。
だが、それは東宝を辞めて浪人中だった円谷英二が作ったものだった。
さすがである。
『ゴジラ』の恐怖を見て、二度と戦争をしない国にすることを、安倍晋三の「愚挙」のこの時期に忘れないことにしよう。

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