この映画を見たのは、1969年9月テアトル新宿だったが、『若者たち』『若者はゆく』との3本立てという、凄いものだった。
テアトル新宿は、洋・邦どちらの映画も上映していて、5月には山下耕作の『戦後最大の賭場』を見ているが、翌年1月には『シャレード』『おかしな二人』の2本立ても見ている。
はっきり憶えていないが、洋・邦画が、毎週交互にに上映されていたと思うが、こういう名画座は結構あった。
『若草の萌えるころ』は、ロベール・アンリコの監督で、アンリコと言えば『冒険者たち』となるが、これを最初に見たのは、日本テレビの深夜放送だった。
『冒険者たち』は文句なしに面白く、日本でも『黄金のパートナー』などオマージュ作品を生んでいるが、この『若草の萌えるころ』もいい。
ただ、この映画は、途中からパリの大学生ジョアンナ・シムカスの午後から翌日のこと一日のドラマになるが、筋が相当にとりとめがなく非ドラマ的になるので、やや戸惑ったものだ。
言ってみれば、日本の藤田敏八の作品のとりとめのなさんも似ているというよりも、藤田が真似しているのだろう。
ただ、この映画には重要な伏線があり、ジョアンナの叔母が脳梗塞で倒れている。
その叔母は、スペイン人で、彼女の弟、シムカスの父も人民戦線派の戦士として共に戦い、父は死に、叔母は、義妹とフランスに来ているというものなのである。
この辺の感じはよく分からなかったが、アラン・レネの『戦争は終わった』、オットー・プレミンジャーの『日曜日には鼠を殺せ』など、スペイン市民戦争を題材にした映画が多くあった。
要は、ある一日の中で、若い女性アニーが、パリで、友人のバスケットの試合から、ミニ・レーシング場での田舎のまじめな畜産青年、毛沢東主義の黒人青年、スペイン人出稼ぎ、トラック運転手等の様々な人間に会う。
そして、最後はバンドでベース(電気ではなくコントラバス)を弾いている若者と結ばれる。
そこにも紆余曲折があり、「こんな気まぐれ娘はつきあうのはたまらないな」とは思うが、ジョアンナ・シムカスが可愛くてカッコいいので許せる。
彼女は、シドニー・ポワチエと結婚して引退したのは残念だが、賢明なことだった。
1970年代以降は、フランス映画も、自主性を失い、ほとんどアメリカ資本映画になってしまったのだから。
ジョアンナ・シムカスがセックスする若者の部屋には、中国の月琴をはじめ、アフリカの楽器などがあった。
アンリコは、相当に多様な文化を許容する、ワールド・ミュージック趣味の人だったのだろうか、その辺もよくわからず残念だった記憶がある。
イマジカBS