1980年代末のバブル時代は、同時に全国的に文化ホールの整備のブームだった。
当時、業界、特に演劇業界で言われたのが、「芸術監督を置け」と「多目的ホールは無目的だから専用ホールを作れ」だった。
横浜市でも、誰も知らないだろうが、演劇専用ホールを作った。
なんと相鉄線のいずみ中央駅という「地の果て」にあり、ここで舞台機構を駆使した芝居を観たことがない。計画が大体決まった時、私はたまたま担当課長が知り合いだったので、「今の日本に舞台機構を駆使する芝居の劇団なんてないのだから、機能は使われませんよ」と言っておいたが、その通りになっているらしい。
私は、長年『ミュージック・マガジン』で演劇評を書いてきたので、どちらも信用していなかったが、そのドグマの破綻はいよいよ明確になって来たようだ。
昨日は、阿佐ヶ谷で映画を見て、少し飲んだ後、自宅で「日本レコード大賞」を見た。
昔は、帝国劇場で12月31日にやっていた「日本レコード大賞」だが、NHKの紅白合戦が東京宝劇場から渋谷のNHKホールに変わったので、帝劇からNHKホールの移動は無理になった。
いつの間にか、レコード大賞は12月30日に、初台の新国立劇場でやるようになっている。
新国立劇場中ホールは、演劇専用ホールで、大規模なバックヤードなどを持つ専用ホールである。私も長い間、ここで芝居を見てきたが、その舞台機構を駆使した芝居はほとんど見たことがなく、多分佐藤信の『ブッタ』くらいだったと思う。
つまり多様な舞台機構などもともと演劇には不必要だったのだ。ここでの名作と言えば、井上ひさしの物で、ほとんど舞台機構を駆使しないものばかりだった。
だが、昨日のレコード大賞では、新国立の舞台機構がよく生かされて重層的な音楽発表会が行われていた。
つまり、ここで演劇の専用ホールは無意味だったことがはっきりと証明されたわけだ。
もう一つの芸術監督だが、来年からの小川江梨子はどうだろうか。
秋の大ビックリ劇『マリアの首』を見ると、彼女で平気なのと思うが、一応期待はしよう。
芸術監督など、適当な人がいなければ不在でも私は良いと思うのだ。そして、いくつかの上演の成果を見て決めれば十分だと思う。