「スクリプター白鳥あかね特集」、1974年最盛期のロマンポルノの正月映画、2年前の『一条さゆり・濡れた欲情』は見て、その前衛性に驚いたが、これは見ていなかった。
スケコマシを自認し、ストリッパー片桐夕子のヒモ古川義範が、海辺の町で芹明香も引っかけてストリッパーにし、3人は奇妙な関係で東北の町を巡業する。
そこに、はみ出し劇場の外波山文明と内田栄一の街頭劇が挿入される。
監督の神代辰巳は、様々なストリッパーの演技を、歌謡曲、字幕、さらには高橋明の「なかなか節」などを重ねてブレヒト的に異化していく。
脚本と助監督は鴨田好史で、この人はその後映画界を離れて故郷に戻ったが、数年前に亡くなられたそうだ。
神代辰巳の最初の作品『かぶりつき人生』を見たときには非常に驚いたもので、併映は、磯見忠彦監督の『ネオン太平記』で、これは大阪のアルサロを舞台にしたものだった。
中央左の男は、かの渥美清のオカマ姿、右は言うまでもなく三国連太郎であり、渋い良い役者が好演(渥美は怪演だったが)、いかんせんスターではなかった。
2本ともモノクロでノー・スター、しかも関西弁では当たるわけもなく、日活史上最低の営業成績だったのも当然だった。
今から考えれば、いかに神代が進んでいたかが分かるが、ともかく訳の分からない映画だった。
『濡れた欲情・特出し21人』に戻れば、手法的には『一条さゆり・濡れた欲情』の繰返しであり、いつの間にか寝ていて目が覚めるとエンドマークだった。
もう1本の斎藤武市監督の『姉御』は、悪人内田良平に殺される江原真二郎の復讐をする妻扇ひろ子の女ヤクザ映画で、扇ひろ子映画は初めて。
東映の藤純子、大映の江波杏子らと同じ女ヤクザ映画だが、扇は少し暗くて陰鬱である。
当時日活にいて助監督だった伊地知啓は、「東映のヤクザ映画を盗め」と言われたそうだが、東映京都には時代劇の伝統があるのに対し、戦後の日活にはほとんど伝統はなく、やはりヤクザ映画は無理だった。
会社、撮影所の伝統はそう簡単に変わるものではないのである。
ラピュタ阿佐ヶ谷