1968年に、東宝の8・15シリーズ2作目として公開された戦争映画の大作、脚本須崎勝弥、監督丸山誠二、監修として橋本忍らの名もある。
ドイツとの三国同盟締結問題で、米内光正海軍大臣と共に次官として、米英との戦争の恐れがあるとして締結に反対し、陸軍、右翼らの脅迫を受けるところから始まる。
陸軍の少壮将校として、三国同盟早期締結を迫ってくるのが中谷一郎の辻政信で、彼は最後、ガダルカナルでも山本と対面する。
本当かどうか知らないが、陸軍の強硬派を辻政信で、海軍の「反戦派」を山本五十六で代表するのは、この時代の歴史認識で、今ではそうでもないのだが。
山本は、言うまでもなく三船敏郎で、冒頭の川の船の中で逆立ちをして、船頭の辰巳柳太郎と賭けをするところから、最後南方の最前線基地の視察、督励のため行ったところをブーゲンビル島で米軍機の奇襲で撃ち落とされてしまう。
このときは、1943年6月に国葬になり、その後、戦後もずっとなかったのだが、1967年10月に元首相の吉田茂が亡くなった時、国葬が行われ、われわれは非常に驚いたものである。
この映画は、戦後まだ20年で、主演の三船敏郎以下、スタッフ、キャストはほとんどが戦争の経験者で、体験がないのは黒沢年男くらいだろう。全体に戦争はしていけないという考えがあり、また経験者のリアリティがある。
なぜ、日本が戦争をしてしまったのか、これは非常に難しい問題だが、その原因の一つは、戦前の軍隊が完全に「官僚化」していたことがあると思う。
私も横浜市という官僚体制にいたので、官僚の習性がよく分かるが、言うまでもなく官僚機構は硬直的であり、行動様式は慎重なものである。
だが、そこに辻政信のような、声の大きい、威勢の良い人間がいると、少なくとも大きな間違いが見えない状況では、その声に引きずられてしまう傾向がある。
辻政信は、戦後も堂々と政治の場で生き、参議院全国区の議員として上位当選していた。
日本人は、本当に何を考えていたのだろうか。