音楽評論家で、『ミュージック・マガジン』を創刊された中村とうようさんが亡くなられて3年になり、今年も「とうようズ・デイ」が行われた。
去年は、六本木の新世界だったが、今年は東京ミッドタウン内の武蔵野美術大学のブランチで、大変立派なところ。
元は、防衛庁があったところで、1969年10月21日には、社学同ブンド派が、丸太を抱いて突入しようとしたところである。
この日、私は早稲田に全国から来て大集会を行った社青同解放派の連中に付いて、国会に行き、議事堂前で気勢を上げて終わるという一番つまらない行動に従った。
この日の最高は、新宿を主戦場とした中核派で、一般市民を巻き込んで新宿駅一帯を大混乱に陥れ、騒乱罪適用を引き起こすことになる。
警備側の記録を最近になり読んでも、この日は彼らも本当に危機感をいだいて対処していたようだった。
私は、この年の秋に、どこかで見たニュース映画で、新宿の東口のルミネ脇の映画の看板のところから、中核派を先頭に大群衆が新宿駅に雪崩こむ映像を見て仰天したことをよく憶えている。
さて、この日のイベントは、とうようさんが所有していた蓄音機ヴィクトローラで、コレクションのSP盤を聴くというものだった。
以前、とうようさんは、「状態の良いSP盤を高級蓄音機で掛ければ、LP、CDなどよりはるかに良い音がするんだよ」とよく言っていた。
本当にその通りだった。
萩原健太さんと田中勝則さんのトークで、約5,000枚あったというとうようさんのSPから20曲が掛けられた。
最初は、デューク・エリントンで『ブラック&タン・ファンタジー』、最後はピート・シーガーがリーダーのウィーバーズで、彼らの最初のヒット曲『グット・ナイト・アイリーン』
近年、萩原さんも、SP盤に凝っているそうで、昔からSPのウルトラ・コレクターである田中さんなので、SP賛美が続くが、本当にSPの音は素晴らしい。
特にボーカルが最高で、私の語学のレベルでも、英語の歌詞がほぼ完璧にわかる。
曲の多くは、とうようさんがCDで再編集したものがほとんどで、曲としては聴いていたものが大半だったが、実際にSPで聞くと迫力、リアリティが違うのには改めて驚く。
1940年代のビング・クロスビーの曲の間奏では、電気ギターのソロが聞こえたので、終了後に田中さんに聞くと、
「多分、レス・ポールではないか」とのこと。
確かに、当時エレキ・ギターをやっていたのは、彼くらいしかいなかっただろう。
冒頭の開会の挨拶で、湯川れい子さんは、「5年間はやる」と言っていたので、是非とも今後5年間は続けてほしい。