土曜日の夕方は、カルチャー・センターでポルトガル語を勉強してきたが、夕方のクラスが6月で終了になった。ポルトガル語のクラスはあるのだが、午後3時からなので、他のことができなくなり都合が悪いので、やめた。
昨日は、上大岡の港南区民文化センターでドイツ・グラムフォン制作のオペラ映画『椿姫』を見る。
480人の会場はほぼ満員で、体型はオペラ歌手並のおばさんたちばかり。
監督は、映画『ロミオとジュリェツト』や『ブラザー・ムーン、シスター・サン』で有名なフランコ・ゼフィレリ。
彼は、本来は劇の演出家である。
蜷川幸雄が日生劇場で『ロミオとジュリェット』を上演したとき、東宝が最初に演出家としてオファーしたのは、本当はゼフィレリだった。
ところが、そのときゼフィレリの恋人である演出助手の青年が、演出ノートを持ち逃げしたので、できないと断ってきたので、蜷川にしたのだそうだ。
『椿姫』は、パリの高級娼婦ビオレッタと両家の息子アルフレードとの悲恋物語。
「乾杯の歌」を初め、有名な曲が多数出てくる。
アルフレードは、ドミンゴ、ビオレッタは、テレサ・ストラータス。
話は、19世紀のパリの社会の退廃的と言うか、華麗な面を描いている。
撮影は、横移動が多いが、「仮面舞踏会」のシーンなど、大変派手な画面で、蜷川幸雄のような見せる演出。
この退廃した社会での男女の愛と言うのは、どこにでもあるだろうが、日本で言えば、かつてのバブル時代だろう。
ジュリアナでの恋愛沙汰と思えば、間違いない。
最後、ヴィオレッタは、結核で死んでしまう。
若者が、荒淫すると急速に体力を失い、結核に感染するらしい。
作家斉藤綾子も、20歳頃にセックスしすぎて結核になり、新宿の結核病院に入院したことを描いたのが処女作『結核病棟物語』である。
恋人が病気で死んでしまうのは、青春映画の大道であり、源流の一つだろう。
最後、ヴィオレッタは、死の床で延々とアリアを歌う。
瀕死の人間がアリアを歌うなど非現実的であり、劇作家ブレヒトは、こういうのはおかしいと彼の「異化効果」理論を作り出したのであるが、そのとおりだとも言えるし、また気にならないとも言えた。