正月の1月1日はやることもないので、例によってバスツアーで、栃木の佐野厄除け大師に行く。
上大岡10時出発という遅い日程で非常に楽だった。
湾岸から東北道で、佐野に行くがほとんどガラガラで、佐野で下りるときのみ、アウトレットとイオンモールに行く人たちで渋滞していただけ。
駐車場から少し歩いて佐野厄除け太子に着くと大変な列だが、40分で賽銭箱まで行くことができた。
途中で、大きな墓があり田中翁とあるので、これはと思うと、田中正造の墓だった。
田中は、足尾鉱山の鉱毒事件なので、なんとなく群馬の人と思いこんでいたが、田中は佐野の出身なのだ。
彼のことは映画では、三国連太郎の主演で『襤褸の旗』になっているが、私も学生劇団で宮本研作の『明治の柩』をやったことがある。
非常に大規模な劇で、劇団員総出演で、また大変場面転換の多い芝居だった。
だが、舞台稽古をやっていると、大道具の暗転での転換は無理と言うことになり、カット、カットの連続で、ほとんど開帳場と二重だけのセットになってしまったので、大道具の担当は非常にむくれたが、仕方のないことだった。
田中正造は、やはり佐野の偉人と言うことで、盛大に葬られているに違いない。
これには、日本の御霊信仰のようなものだとも言えるのではないか。
非業に亡くなられた方の霊を鎮めるという信仰で、有名なのは菅原道真だが、平将門などもそうである。
もし、参議院議員の山本太郎氏が、非業の下で亡くなられたことがあるとすれば、彼も山本神社になるかもしれないが、まあそうはならないだろうと思った。
佐野大師には、ブラジル系、フィリピン系、さらに韓国、中国の人もかなり来ていたのは、ご時世だろう。