岡田克也氏が民主党代表に

日曜日に、民主党の大会が行われ、岡田克也氏が、決選投票で細野豪志氏を破って代表に選出された。
テレビ・ニュース的には、新鮮味のない結果だったが、これで良いと私は思う。
地方の党員や議員に細野氏を期待する声が多かったようだが、これは少々近視眼的である。
党首の顔が変われば勝てると思うのは非常に考えが浅いと思う。

1970年代から横浜市という地方での政治の現場を見て来た者にとって、自民党の強さは異常なほどのものだからである。
というよりも、日本で誰か政治を志せば、それは自民党の地方組織、あるいは同業組合等の草根の自民党組織に捉えられてしまうものだからである。
2009年に民主党が自民党に勝ったのは、奇跡的なことで、それは当時の国民の自民党政治への飽きと小沢一郎の巧みな選挙戦術によるものだった。
「コンクリートから人へ」はともかくとして、「官から政へ」も、スローガンとしては正しく、小沢一郎のような行政の裏も表も知り尽くした政治家が言うならともかくとして、昨日、今日議員になった程度の連中が「官から政」を唱えるのは非常に滑稽だった。
官僚の離反を招くだけで、無意味そのものだった。
では、岡田民主党はどうしたら良いのだろうか。
政策的なこともいろいろあるだろうが、一番重要なことは地方の組織作りである。

例えば、横浜市南区で自民党は、4月の県議会議員選挙について、定数2で、二人の同党候補を公認することになった。
これは、前回は三橋将雄氏を公認して当選したが、彼は横浜市北部に地盤を持つ三橋建設の御曹司で、本来は北部のどこかの区で出れば良いのだが、適当なところがなかったので、新堀紀彦氏が任期中で亡くなって空いていた南区から出て当選されたのである。
だが、彼は特に問題はなかったようだが、本来は市内北部の人間なので、地元への密着度では多少劣るところがあったようだ。
そこで出てきたのが、新堀史明氏である。
彼は、以前南区で県会議員、さらに衆議院議員にも当選したことのある新堀豊彦氏の息子だそうで、亡き新堀典彦氏から見れば甥に当たる方である。
だが、これにも批判はあるようで、「南区は新堀家のものではない」というものである。
新堀家は、南区の大地主で、真金町などには膨大な地所を所有されていたこともあるのだそうだ。
そして、議員には新堀源兵衛、新堀豊彦、新堀典彦と3人の先生を輩出されているのである。
この上また新堀なの、という声があるのだ。
この三橋、新堀の選挙は、今熾烈に戦われているとのことだが、こうした自陣営内の戦いが、票を掘り起こし、自民党を強くするのである。
これは、以前の中選挙区時代には、衆議院議員選挙で行われ、金のかかる選挙とのことで、小選挙区制度に変えられたのだ。
だが、同様なことはその下の地方選挙では行われているのであり、それが自民党の強さの一つなのである。

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コメント

  1. てんてけ より:

    Unknown
    新堀豊彦氏が衆議院に当選したこと、ありましたっけ?

  2. さすらい日乗 より:

    そう言われると
    最後に自民党に戻り、比例区で受かったように記憶していましたが。
    調べてきます。

  3. さすらい日乗 より:

    ご指摘のとおり、なっていませんでしたね
    ご指摘のとおりで、新自由クラブから自民党に戻って、衆議院か参議院の比例区のトップにされたと記憶していたのですが。

    横浜市中央図書館にあった新堀氏の著書には何も触れられていませんでした。確か指名を辞退されたのだったのかもしれません。
    結論としては、ご指摘のとおりで衆議院議員にはなっていませんでした。