来週月曜日に、天皇陛下が「生前ご退位」について、お話をされるそうだ。
もちろん、賛成だが、さらにこの際、そのお住まいを東京から京都に移られてはどうかと思う。
昔、昭和天皇が崩御されたとき、職場でこのことを言ったら、「なんとういことを言うのだ!」と無視された。横浜市の国際室だったのだから、当時の横浜市職員のレベルはそんなものだった。
天皇が東京にいるようになったのは、明治以降に過ぎないのだから、もともとの京都に戻られれば良いと思う。
そして、今上天皇は、天皇家としての宮中祭儀等を中心に行われ、憲法の定める国事行為は、法的にはどのようななるかは別として、今の皇太子が行われのが良いと思う。
天皇制の持っている政治性と宗教性を分離し、その宗教性は、今上天皇陛下に任せて、京都に移られてはどうかと思うのである。
この天皇制の政治性と宗教性については、昔丸山眞男も、明治憲法の顕教と密教という比喩で説明されたと思う。
つまり、天皇陛下が京都に行くことによって、京都、関西が日本の文化の中心であることを世界に示すのである。
そして、文化は関西、さらに経済は世界のトヨタの名古屋、政治は東京という風に機能分散することが、防災の観点からも相応しいと思う。
関西圏の経済的浮上には、大阪都構想などという馬鹿な案ではなく、文化による興隆が一番だと私は思う。
カラオケからビ二本、ノーパン・しゃぶしゃぶ、さらに現在のレンタルコミックの元である戦後の貸本ブームまで、すべて新しい文化は関西から始まっているのだから、文化による興隆が一番正しいのだと私は強く主張したい。
コメント
ほんの寝巻き
改憲の扇の要だった終身国家元首説は、妙なことになるなるでしょうね。
平成天皇のご発言の重みは、いかに左巻きの私でも深刻に受け止め、きちんと理解しておきたいと思っています。
憲法第一条の、象徴天皇とは、ただご存在するだけの解釈では、今回のご発言は、政治的関与のきわめて微妙なところでしょうが・・・(内閣法制局みたいですが)。
思い返せば、象徴天皇というのは、新渡戸稲造の the representative of the nation and the symbol of its unity.
から由来したと習った遠い昔を、思い出しました。
身分制度
天皇制は身分制度なんだから、廃止した方がいいと思う。
ただの制度としてみれば簡単だが
天皇制を政治的な制度としてのみ見ればことは簡単です。
だが、天皇制は文化であり、宗教なので、ただ廃止すればことは済むというものではないと私は思います。
身分制を肯定?
「天皇制を政治的な制度としてのみ見ればことは簡単です。」
天皇制は身分差別ですよ。
身分制や、生まれによる差別を肯定するんですか?
天皇制を支持しているのなら「私は身分制はあっていいと思っている」と、はっきり言うべきだと思いますよ。
「だが、天皇制は文化であり、宗教なので、ただ廃止すればことは済むというものではないと私は思います。」
日本文化は天皇がいなくても素晴らしいと思います。
日本語というものがあって、畳とか文学とかアニメとか、いくらでも日本文化を表象するものはあります。
私は、近代に作られた天皇制(天皇教)という宗教の信者ではありませんし、信仰をするつもりもありません。
私は身分差別を否定します。
だから天皇制も否定します。
私は、差別の根源である天皇制は廃止した方がいいと思っています。
今や最大の護憲勢力なのですから
1944年ごろ、米国務省で戦後日本の統治機構について検討がなされた。その時は、勿論天皇制は廃止、戦争責任も裁判で問うというのが主流でした。
その時、戦前に大使として長く日本にいて、近衛文麿らとの交流もあり、日本をよく知っていたジョゼフ・グルーは反対意見を出した。
「天皇は、蜂の巣の女王蜂みたいなもので、女王蜂がいなくなれば、巣はバラバラになり、日本はすぐに共産化する」と。
私は、この意見に賛成で、これこそが国民統合の象徴ちうものでしょう。
そして、今上天皇は安倍晋三政権に対抗する最大の
「護憲勢力」なのですから、意外にも天皇制は意味があるわけです。
身分差別と言えば、関西の被差別部落の中には、「わが村は何々親王の子孫で、それが始まりだ」という言い伝えを持つところもあるそうで、身分制と差別の問題はそう簡単ではない思いますね。
差別は人の気質
私は、差別というのは、天皇ではなく、その権力の輔弼者によって作られていると思います。神輿の担ぎ手が、差別の温床であり、天皇制というのは、ファシズムや共産主義が台頭するのを防いでいる上で、対外的に開かれた良心の象徴だと思います。
戦争責任においても、天皇が外遊によって、小国を廻る事は、意味ある事ですし、それは、天皇だけが出来る仕事でしょう。首相が行っても、安倍首相は、まだ、ご先祖が関わっていますが、たいていの政治家は、無関係です、それを言えない、日本人として、関わっていない、という事はタブーであり、外交儀礼上恥であっても、天皇だからこそ、意義を保てるという事はあると思います。
天皇は、民進党の台頭に危惧があっても、それを、口にする事はありません。中立。また、カルトとか、反日教が大義を持たないのも、皇室があるがゆえだと思います。
隆さんに あなたは何を言いたいの
何を言いたいのか、頭が悪いせいか、さっぱりわかりません。
もう少し、普通に理解できる文言でコメントしてください。
身分制についてなんですけど
「1944年ごろ、米国務省で戦後日本の統治機構について検討がなされた。その時は、勿論天皇制は廃止、戦争責任も裁判で問うというのが主流でした。
その時、戦前に大使として長く日本にいて、近衛文麿らとの交流もあり、日本をよく知っていたジョゼフ・グルーは反対意見を出した。
「天皇は、蜂の巣の女王蜂みたいなもので、女王蜂がいなくなれば、巣はバラバラになり、日本はすぐに共産化する」と。
私は、この意見に賛成で、これこそが国民統合の象徴ちうものでしょう。
そして、今上天皇は安倍晋三政権に対抗する最大の
「護憲勢力」なのですから、意外にも天皇制は意味があるわけです。」
私は身分制のことを言ってるんですけど、これって関係ありますか?
詭弁を弄するのはやめてください。
どうでもいいこだと思います。
仮に、当時天皇制が廃止されたとしても、アメリカが共産化を許さなかったでしょう。
当時、共産化したのは、資本主義が不十分な国だけだったと思いますけど。
責任についていえば、天皇は戦争の責任をとっていません。
責任をとって退位べきだったと思います。
そうすれば、中国、韓国は納得しただろうし、今のように激しく責められてはいないと思います。
だいたい、天皇制は水戸学を基礎として、明治に作られたものです。
明治以前の庶民は天皇の存在は知りません。
明治政府の教育(洗脳)が今に続いて、国民統合の象徴なるものを信じこまされているだけです。
そんなものを崇拝するつもりはありません。
憲法に関しては、別に安倍晋三じゃなくても、自民党が政権にいる限りは、憲法改正を目指すでしょう。
自民党は憲法改正を党是とした政党なんですから。
私は憲法改正をするべきだと思っています。
天皇制を廃止して、9条を改正して、自衛隊を正式に軍隊にしたほうがいい。
護憲を言うのなら、中国関連の有事などの周辺事態が起きた場合、現在の自衛隊では対処できません。
その場合に起きる不都合については、どう考えているんですか?
「憲法九条を守れ。敵が攻めてきても降伏して、属国になればいい」と思っているなら、そうはっきり言うべきです。
「身分差別と言えば、関西の被差別部落の中には、「わが村は何々親王の子孫で、それが始まりだ」という言い伝えを持つところもあるそうで、身分制と差別の問題はそう簡単ではない思いますね。」
私は平等思想を信じています。
だから、法によって定められた身分制である天皇制を否定しているんです。
また「法によって定められた」なのだから、それ以外の「差別」を持ち出して来て反論しても意味はありません。
管理人さんは身分制や、生まれによる差別を肯定するんですね?
天皇制は人権思想を否定して成り立っています。
天皇制が「身分差別」であることは明らかです。
前のコメントにも書きましたが、天皇制を支持しているのなら「私は身分制はあっていいと思っている」とはっきりと言って、態度を表明するべきです。
管理人さんは、自分が「身分制や、生まれによる差別を肯定している」ということを、自覚できていないようですね。
と言っても、平等思想を信じない人は、天皇を崇拝していてもいいわけですし、それは否定しません。
なんとも極端なご意見で
こういう極端なご意見は、このブログでは一番嫌うものですが、聞かれたのでで書きます。
身分制とは違うでしょう。
身分制とは言うまでなく封建制時代の制度で、少なくとも明治以降は、問題はあったとしても、士農工商の身分制は廃止され、職業、居住等の自由はできたのですから。
あえて身分制というなら、今も天皇と皇族のみに残っている身分制と言うべきでしょう。
それを人権否定というならば、その通りですが。
天皇制廃止を言うのは簡単ですが、国民投票の後、憲法を改正する必要があります。第9条の改正以上に無理なことでしょう。
戦後、日本共産党員だった中野重治は、「戦前に共産党が天皇制廃止を言ったのは最大の失敗だった。これによって一般の国民の支持を失った」と言っています。
無理なことを声高に叫ぶ意味を私は見つけられません。
平等思想を支持しているのは当たり前です。
天皇を崇拝などしていません。
ただ、正月に歌会始を主催するなどは、非常に良いなと思っています。なんとも平和で、世界でも稀な公的行事だと思います。
題名は忘れましたが、1970年代のインドの映画で、英国に併合される地方の小国のことを描いた作品がありました。
大英帝国のエリザベス女王のことを聞かされて、その王様は言います。
「エリザベス女王は作曲ができるのか?」
その国では王様は作曲をすることになっていたのです。
私は、歌会始に同様の意味を感じます。
その国の文化の統括者としての王で、こういうのはあってよいと思うのです。
少なくとも、マリオから出てきて喜んでいる安倍晋三よりは、です。
マリオではなく、ゴジラのぬいぐるみからなら多少は許せますが。
近代君さんへ
横から失礼します。
天皇は戦争責任は、無かったと思います。戦前の日本政府の軍部が主導して、日中戦争や太平洋戦争があったのでしょう。天皇が戦後も元首のままならば、大問題でしょうが、象徴を受け入れたのは、実権が伴わない、儀礼上の存在になった事であって、その天皇が、身分差別の根源だとは思えません。
日本人の差別というのは、江戸期にあるように、化外の身分、士農工商の枠外の、公儀より定められた民への差別であり、職業の貴賤が問題となると思います。部落民への差別を、改革したのは、明治政府であって、江戸期の日本人らしさや伝統が、差別の温床であったとはいえると思います。
今の「日本人らしさ」とは、公共が作っていると思います。自民党の移民政策然り、外国人が、被差別の新国民になって行くのではないでしょうか。
隆さんに 天皇に責任はありました
それは政治的責任ではありません。帝国陸海軍の統帥権を保有していた者としての戦争の敗北への責任です。
太平洋戦争中、トラック島が米国の手に落ちた時、初めて知って首相で陸軍大臣だった東條英樹は、戦局を何も知らされていず、愕然として陸軍の参謀総長を兼務しました。これは東條幕府だと批判されて辞職の切っ掛けの一つになります。
要は、戦争の状況は参謀総長と海軍軍令部長から直接に天皇に報告され、ご指示をいただいていたので、それこそが統帥権でした。
ですから連合軍に敗北した日本軍の総責任者として昭和天皇には、戦争の敗北の責任がありました。
それを不問に帰したのは、アメリカの日本統治のための思惑なのです。
管理人さん
天皇個人というよりは、機関説によって、一つの政治装置になっていたので、個人として、天皇が訴追されなかったのは、当然だと思っています。
天皇の権威を支えていたのは、個人の努力というよりは、その周縁、軍部や右翼などの、実力集団が居たからだと思います。だから、東条も、東京裁判では、天皇の責任を否定しています。あれは、右翼への畏怖と共に、敗戦してなお、日本人の間には、天皇の正統性を守る意識があったからでしょう。
天皇を利用したのがGHQだったとしても、民意は責任の否定にあったのだと、私は思います。
統帥権の侵犯については、難しいですね。そうした解釈もあるのでしょう。海軍の縮小に対して、政治家が干渉したとして、軍部が怒ったものだと思いますが、その意味でも、軍部は政府の中でも、上位にあったのでしょうね。2.26の青年将校を見殺しにした例もありますが、天皇個人というよりは、権力主体の官僚との癒着が問題だったのではないですか。統帥権は、まさに、そうした組織的に運営されてこそ、個々の判断の責任が問えると思いますので。
近衛文麿も昭和天皇の責任を言っています
「よく言うよ」とは思いますが、敗戦直後、近衛文麿は、昭和天皇の戦争責任を言っていますし、元内大臣の木戸幸一も米軍の占領が終わった時に、天皇の退位を言っています。
どちらも陸海軍の統帥の指導者としての責任で、歴代の天皇に申し訳が立たないというものでした。
海軍が騒ぎ立てた問題は本来統帥権ではありません。平時の軍の編成は陸海軍大臣の所掌事務ですから。
戦争での指揮・命令が統帥なのですから、太平洋戦争の敗北は、昭和天皇が責任を負うべきものだったのです。
どこが極端なんですか?
どこが極端なんですか?
事実を言っているまでです。
なぜ事実から目を背けるんですか?
天皇制は生まれによる差別に基づく身分制ですよ。
管理人さんは平等思想を支持していると言っていますが、それならなぜ、天皇制を肯定しているのですか?
管理人さんは「生まれによる差別を肯定している」ということを自覚できていないようですね。
そのことを自覚できていない人が非常に多いです。
例えば、管理人さんが、中学の先生になって、差別がいけないならなんで天皇制はいいのか、と生徒に訊かれたら、何と言うのですか?
生徒にあの人たちだけ、生まれのおかげで有名になっている、ずるいと言われたら?
まあ、それを言えば、金持ちの家に生まれるというのもあるのですが、私としては、法で身分制を規定するのは許すことができません。
ですから、私は天皇制を法で定めるのには反対です。
といっても、天皇制を廃止するのは難しいでしょう。
私は、天皇制は廃止したほうがいいと思っていますけど、天皇はいてもいいと思っています。
ただし、法から外して、家元のように、京都にいて、好きな人が支持していればいいのではないかと思います。
または「天皇教」という宗教団体の教祖にでもなって、好きな人は天皇を崇拝していればいいんです。
天皇制は差別の根源です。
原因ではないですよ。
結局「人を生まれで差別してはいけない」という教育は、天皇制の前に砕け散ってしまうんです。
あなたの言うことは理解できますが
どこの誰が、はいそうですね、というでしょうか。
ちゃんと反論してください
反論があるなら、ちゃんと反論してください。
管理人さんは「戦後民主主義者」なんですね。
今の日本には、管理人さんのように、天皇制を認めて、憲法9条を守れと主張する「戦後民主主義者」が多いんですよね。
「どこの誰が、はいそうですね、というでしょうか。」
いると思いますけど。
私のように、天皇制廃止と憲法改正を主張する近代主義者は。
といっても、残念ながら、今の日本では少数派ですけど。
本音では天皇制廃止を言いたくても、右翼が怖いから、言えない人もいると思います。
学者さんでもいますよ。
代表的な人といえば、社会学者の橋爪大三郎さん、法学者の井上達夫さん、比較文学者、小説家の小谷野敦さんがいます。
管理人さんがまともに反論できないようなので、これで終りにしますか?
できないことを言い立てても
できないことを言い立てても、意味がないと思うからです。
弱虫と言われればその通りですが。
私のような小者は、右翼は相手にしないので、怖くはありませんが。
現実的かどうか
現実的かどうか、といえば、天皇制廃止は難しいでしょう。
でも、天皇制を認める以上は、人を生まれで差別してはいけない、とは言えません。
いい加減、天皇家の方々を解放してあげるべきです。
差別を肯定して、不誠実に生きるより、差別を撤廃して、誠実に生きるほうがいいと私は思います。
これで私のコメントは終わります。
私の稚拙なコメントにお付き合いしてくださって、ありがとうございました。
それでは失礼します。