浅草公会堂で、加東大介の戦争中の実話に基づく『南の島に雪が降る』を見た。
有名な実話で、映画にもなっているが、ここでは元宝塚の大和悠河が出ているので、新たに主人公の妻の他、現地のオランダ人娘も配するなど、原作を少し変えた筋になっている。
あらためて、この劇を見て思ったのは、この劇の日本の戦争ものに占める特異性であった。
この劇がヒットしたのは、加東大介の実話の他、戦時中のエンターテイメントの重要性を描いていることにあると思う。
他の日本の戦争もので、エンターテイメントの意味の重要性をテーマとした劇はそう多くない。
それは、ミュージカル『南太平洋』のような名作ができたアメリカとの違いである。
それは、大衆経済社会におけるエンターテイメントの重要性になる。
1920年代以降、アメリカでは大量生産、大量消費の大衆経済社会が形成されていた。
それは、日本の精神主義から見れば、享楽的な堕落した社会だが、ひとたび戦時になれば大量生産で軍需に応えられる経済体制でもあった。
昭和初期以降、日本でもアメリカ的なモダニズム文化はすぐに輸入されていて、トーキー映画、音楽、ダンスなどの文化が流行していた。
ただ、それは大都市のみのことであり、日本全体としては、依然として農業社会の封建的文化だった。
だから、南の島で、加東大介を中心に演芸部隊を作ることになり、希望者を募ると、その8割以上が浪花節だったのだ。
もちろん、私は浪曲の意義を否定するものではなく、日本のレコード産業の基礎を作ったのは、浪花節だったのだ。だが、ここでの浪花節は、農村的な非西欧的な文化の象徴である。
それに対してアメリカ軍はどうだったのだろうか。米軍は、アメリカ本土と同じ日常生活を戦場でも再現することを当然のことにしていた。
映画も上映されたし、一番有名なのは、Vデイスク・レコードを製造して戦場の島々に送ったことである。
ジャズに詳しい方ならよくご存じだろうが、米軍はVデイスクという特殊レコードを開発し、多様なミュージシャンの曲を録音したのである。
この時期は、レコード・ストライキの時代でもあったので、普通のレコード会社には吹き込みしないアーチストも、「お国のため」とのことで録音したので、非常に貴重なレコードがある。
いずれにしても、現在の日本に見られるように高度資本主義社会にとってエンターテイメントは、必須のものであり、その意義をアメリカは十分に理解していたのである。
日本は、遅れて世界に出て来た帝国主義国で、大衆社会化は、まだ不十分だったので、結局戦争にも負けたと言えるのだろうと思う。
放送大学の高橋和夫先生によれば、アメリカの南北戦争以降の近代の戦争では、「人口が多く、経済力の強い国や地域が勝つ」というのが法則なのだそうだからである。
精神力や神風では勝てないというのが歴史の教訓なのである。