昔の芸人の凄さ SP講談20世紀の大衆芸能第26回「寄席の音曲」 岡田則夫

高円寺の円盤で隔月ごとに行われている、岡田則夫さんの秘蔵SPを聴くイベント、今回はほとんど聞いたことのない物ばかりなので、フィルムセンターの映画の後に地下鉄で向かう。
普通は、銀座線で渋谷に出て、山手、総武線と乗り換えるのだが、地下鉄でも赤坂見附で丸ノ内線に乗り換えれば新高円寺に行けるので、それで行く。
新高円寺から総武線脇の円盤にまでは、結構な距離があった。
だが、古本屋や古道具屋、古着屋などが沢山あり、非常に面白かった。東京に住むなら、このあたりが最高だと思う。
昨日の曲目は以下の通りだが、この昔の芸人の技は本当に凄い。
一口に言えば、非常にリズム感があり、躍動的なのである。
その理由は、この日掛けられたのは、レコードなので、きちんとした場での吹き込みだが、通常は寄席や四畳半などの座敷、時には街頭などで
観客の前でやっていた音曲である。
だから、踊りや動作、身振り手振りも伴なっっていたはずなので、リズム感があるのだと思う。
昔は、多くの芸人、落語家も踊りや三味線、歌もできたもので、そうでなければ芸人とされなかったのである。
その意味で、立川談志が、立川流の入門の条件の一つに「歌舞音曲ができること」と入れたのは正しいのである。

『寄席の音曲のSPレコード』 /平成27年2月6日(金)・高円寺「円盤」
1 ハイカラ節 橘家三好 日蓄(ユニバーサル) 1087 明治末
2 たぬき/追分 東家小満之助 米国ビクター 11072 明治末
3 義太夫入さのさ・礒節 立花家喬之助 日蓄(アメリカン) 2459 明治末
4 名所節 春風亭楓枝 日蓄(ローヤル) 1090 明治末
5 千両幟 柳家柴朝 日蓄(アメリカン) 2103 明治末
6 ラッパ甚句 文の家かしく 米国ビクター 50036A 大5年
7 靭猿    柳家小さん③・柳家小まん 米国ビクター 50043B 大5年
8 千両幟(上・下) 宝集家金之助 ニットー 2124AB 大12年7月
9 売名を忘れ 富士松銀蝶 パーロホン E1102A 昭4年
10 のほほん節 千葉琴月 オリエント 4673B 昭4年6月
11 秋の夜 柳家金語(古今亭志ん好) ポリドール 122A 昭5年
12 神田祭,大津絵,山王祭 立花家橘之助 オデオン U2211B 昭6年3月
13 酒の座 文乃家かしく② ビクター・ジュニア J10236 昭10年2
14 寄席囃子 柳家つばめ④ ポリドール 8122B 昭11年
15 とめてもかへる 柳家雪江 テレフンケン 30B 昭11年頃
16 大津絵(股旅もの) 吾妻家駒之助 ビクター・ジュニア J10374A 昭11年5月
17 さのさ節(声色入) 柳家小半治  ミリオン 6003B 昭12年
18 トッチリトン 三遊亭圓若② コロナ C5215B 昭12年
19 一号まいた(さぬき盆唄) 桧山さくら キング C5275 昭30年
20 御座付、三下がり、さわぎ 西川たつ ビクターV40693 昭和26年

この中で、私が前に聞いたことがあったのは、立花屋橘之助、桂小判治、西川たつくらいで、後は初めてその名を聞き、音曲も聞いた連中であるが、皆一流のものばかり。
9番目の「売名を忘れ(ばいめいではなく、うりなを忘れである)あたりから電気吹き込みになり、音も格段に良くなる。
それ以前の、明治、大正時代は、ラッパに向かって直接歌い、演奏する器械吹き込みの時代である。
この中で面白かったのは、16の吾妻家駒之助のB面の「道中づけ」で、これは東京から新橋、品川、川崎と東海道線を順に言っていくもので、昭和11年の録音なのに、国府津から先が、山北、御殿場と御殿場線廻りになっていた。
すでに昭和9年に東海道線は、丹那トンネルができて、御殿場線ルートではなくなっていたのに、無視しているのが昔の芸人と言うべきだろう。
桂小判治の17は、いつ聞いても軽くて洒脱な芸を感じる。
こういう無理やり押付けるところのない芸が、江戸前の芸であり、関西のどぎつい芸との違いだろう。
これを聴いていて思い出したのが、小津安二郎が大映で中村鴈次郎を主役で監督した旅芸人の話の『浮草』である。
最後は、時代の推移で劇団が立ち至らくなり、解散してしまう旅芸人たち。
明日をも知らぬ身でありながら、能天気に行くままに身をまかせて生きている姿。
そこには当然預金も健康保険も年金もない世界だ。
だが、そのおおらかな自由さは、恐らく1960年代以降の日本映画の世界では、『男はつらいよ』の寅さんだけが演じられた役である。
我々が、経済の高度成長の陰で失ったものは結構大きいのだと改めて思った一夜だった。
岡田さん、ありがとう。

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