中村秀之立大教授の著書『敗者の身ぶり』の中に、黒澤明の『虎の尾を踏む男たち』の製作時期が、彼の自伝『蝦蟇の油』の書くように、1945年8月15日以前から作られたのではなく、8月15日以後に着手されたことが実証されている。
確かに、あの作品の楽天性、明るさには私は以前から不思議で、戦時下でこのような作品をよくも作ったなと思っていた。
2013年に出した『黒澤明の十字架』の中で、私は『虎の尾を踏む男たち』について、次のように書いた。
比喩的に言えば、戦争と軍隊の圧制は、義経を追討する頼朝と梶原が作った安宅の関の難関に、そこをやっとの思いで通過する義経主従は、戦争の重 圧から解放された黒澤たち撮影所の人間の解放感と言えるかもしれない。
今にして思えば、この感想は正しかったわけだ。
では、問題は、なぜ黒澤明は、このように自伝を書き換えてしまったのか。
理由は簡単である。ある作品の存在を隠したかったからである。
それは、映画『荒姫様』である。山本周五郎の小説『笄堀』を原作とするもので、戦国時代、落城寸前の忍城の奥方が、老人、少年兵らを鼓舞して戦う筋だった。
そのことは脚本家植草圭之助の『わが青春の黒沢明』に出ていて、テスト・フィルムも撮影されたが、準備の途中で8月15日になってしまったのである。
この原節子が演じる「ジャンヌダルク映画」については、東宝の重鎮監督の島津保次郎らは批判的だったようだ。
このテスト・フィルムは、「黒澤明DVDのボックス全集」が出た時に、特別付録として希望者には配布されたので、本当のことである。
そう考えると、一部の人が誤解されているように、『一番美しく』も反戦映画ではなくて明らかに戦意高揚映画であり、戦時下の黒澤明は戦争遂行に燃えていたことは間違いない。