先週に見た『ほろよひ人生』で私が注目するのは、脚本が松崎啓治であることだ。
この人は、京都の医者の息子だったそうだが、共産党系の映画人の組織のプロキノの幹部だった。やはりプロキノにいた木村荘十二らと共に、傾向映画『川向こうの青春』を作った後、その録音をした会社のPCLに入った。
亀井文夫の名作『戦う兵隊』などを作っていて、さすがにプロキノ出身だと思う。
黒澤明の監督デビュー作『姿三四郎』の製作も、松崎である。
戦後は、民主主義賛美映画『明日を創る人々』も彼の手によるもので、『わが青春に悔いなし』もそうだ。
だが、黒澤は、松崎のことをよく言っていない。
「松崎や脚本家の山形雄作らは、戦時中は憲兵に寄り添ったスパイだった」と堀川弘通の本に書かれている。
松崎がスパイだったというのは黒澤の妄想だと思われ、そうしないと仕事ができなかったのだと推測される。
さて、戦後の東宝争議の後、松崎はフリーで劇映画を製作すると共に、自分の会社松崎プロを作って企業の広報映画を作っていた。
これは松崎が京大卒で、友人たちが企業や国の幹部になっていたためのようだ。
この頃の松崎との邂逅については、大島渚も書いているが、大島には不快だったようだ。
1950年代の松崎啓治の業績で注目されるのは、新東宝の『女真珠王の逆襲』である。
これは後姿とはいえ、前田通子がオールヌードになった作品である。
この脚本の青木義久と言うのは、松崎氏の脚本家名である。
また、ここにはないが、松崎は自分の松崎プロでテレビの実写版『鉄腕アトム』を作っている。
ただ、これは特撮が非常に稚拙で、このために手塚治虫は、アニメ版の『鉄腕アトム』を作ることを決意したと言われている。
黒澤の言うように松崎啓治はスパイではなかっただろうが、時代と社会の動向に非常に敏感で、それに合った映画を作る製作者だったと言えるだろう。
黒澤明は、そうした変わり身の軽さとまったく反対の頑固な職人的な生き方だったことは言うまでもない。
製作
- 1938.08.23 北京 東宝映画
- 1939.01.25 戦友の歌 東宝映画
- 1939.02.08 揚子江艦隊 東宝映画
- 1939.03._ 戦ふ兵隊 東宝映画文化映画部
- 1942.02.04 青春の気流 東宝映画
- 1942._._ 珠江 芸術映画=中華電影公司
- 1943.01.14 阿片戦争 東宝映画
- 1943.03.25 姿三四郎 東宝映画 … 企画
- 1943.10.07 熱風 東宝映画
- 1945.02.22 間諜海の薔薇 東宝
- 1946.05.02 明日を創る人々 東宝
- 1946.10.29 わが青春に悔なし 東宝
- 1947.12.09 女優 東宝
- 1954.04.13 少年姿三四郎 第一部 山岳の決斗 東映東京 … 企画
- 1954.05.25 少年姿三四郎 第二部 大川端の決斗 東映東京 … 企画
- 1954.12.21 さいざんす二刀流 東映東京 … 企画
- 1955.01.27 姿三四郎 第一部 東映東京 … 企画
- 1955.02.01 姿三四郎 第二部 東映東京 … 企画
- 1955.05.31 正義の快男児 中野源治の冒険 ダイヤモンドの秘宝 東映東京 … 企画
- 1955.06.07 正義の快男児 中野源治の冒険 深夜の戦慄 東映東京 … 企画
- 1955.06.13 正義の快男児 中野源治の冒険 完結篇 地下砲台の恐怖 東映東京 … 企画
- 1955.10.18 柔道流転 新東宝 … 企画
- 1955.11.15 柔道流転 黒帯無双 新東宝 … 企画
- 1956.07.05 女真珠王の復讐 新東宝 … 企画
- 1957.05.08 激怒する牡牛 新理研映画