古川ロッパが、日記をつけていたことは生前から知られていて、1961年に57歳で亡くなった時、すでにその存在が有名だった。
そして、1987年から晶文社から出され、現在は5冊本として読むことができる。
この本は、その日記に基づき、古川ロッパの昭和での姿を辿ったもので、非常に面白く、叙述も、歴史家伊藤隆教授の下で習ったとのことで大変正確だと思う。
これを読むといかにロッパが人気があり、東宝の映画、演劇のドル箱であったかが良くわかる。
ただし、ロッパは非常に傲慢不遜な男であり、食物への異常な拘りも尋常ではなく、戦時下で食事は一人一人前分と決められていた時、自分のマネージャーを同席させて二人分注文した。
そして彼には食べさせず、自分が二人前食べたということがあった。
普通では考えられないことだが、そのように自己中心のわがままな人間だった。ただ、当時の芸能界で、祖父に東大の初代総長加藤弘之をお持つ華族の家柄で、早稲田大学在学中から映画雑誌を作るなどの早熟の才を示したのだから、その自惚れも仕方ないだろうが。
作者は、日記は実はかなりの省略があることを書いている。その第一は女性関係であり、ロッパには妻の他に多くの女性がいたそうだが、そのことは日記にはほとんど出てこない。
日記は、彼が映画、演劇、音楽等の世界に生きたので、芸能界のことが多く、登場人物も森繁久彌からエノケン、徳川夢声など幅広いが、他の世界への波及は少ない。
だが、昭和史の動きを知る上で、この日記は大変興味深くまた、永井荷風の『断腸亭日乗』と日記文学の双璧だろうと思う。
ロッパの凄いところは、批評的センスの凄いところで、ジャン・リック・ゴダールの映画『勝手にしやがれ』を見て感激し、二度まで見ているところだろう。
ただ、この本にも、ロッパがアメリカ映画『三人は帰った』への出演の話が来て、カメラテストも合格したが、最終的には在米の早川雪州に決まり落胆する件がある。
実は、これについては小幡欣次が書いた『喜劇の殿様』では、戦時中のロッパ劇団への中国人俳優の出演が、戦争協力として問題になり、駄目になったと言う風に劇ができていた。
この本には、そん記述がないのだが、一体本当の理由はどうだったのだろうか、知りたいところである。
ともかく昭和の芸能史に興味のある方には、必読の書だと思う。