『古都』

山口百恵の引退記念のは見ていたが、岩下志麻のは、初めて見た。好き嫌いはあろうが、役柄としてはこちらの方が話に合っていると思えた。

というのも、川端康成の原作は、多くは抽象的、観念的であり、リアリスティツクな役者の山口百恵には相応しくないからだ。

『伊豆の踊子』だけは、かなり土俗的な話なので、百恵にぴったりだったが。

筋は、京都の帯屋の娘として裕福に育った千重子と、北山の製材所でつつましく生きて来た苗子の二役を岩下志麻が二役で演じる。

                                 

彼らは、実は双子の姉妹で、千重子の方が、店の前に捨てられていたのを、宮口精二と中村芳子が本当の子として育てて来たのである。

宮口は帯屋の主人でありながら、絵が好きで、帯の下地を書いている。

この辺は、実に松竹大船的な嫌味な教養主義で、岩下が、父にパウル・クレーの画集を持ってきたりするのだから誠に嫌になる。

祇園祭の夜に、千重子と苗子は偶然に会い、千恵子はすぐに双子の姉妹だと分かる。

これは、明らかに双子のことではなく自己像幻覚で、芥川竜之介などが見た、もう一人の自分の姿である。

川端康成も、かなり自己幻覚を見た人らしく、この作品には、そのことと共に、彼自身が幼年期に両親を失い、祖父母に育てられたという「捨て子」的な寂寞感がよく出ていると思う。

俗に絵葉書のようなという形容があるが、京都についての成島東一郎のカメラは非常に美しく、また武満徹の音楽も素晴らしい。

また、適役な配役など実に上手くできていて、その意味では、極めて松竹的な映画だと思う。

衛星劇場

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コメント

  1. √6意味知ってると舌安泰 より:

     「古都」に出てくるクレーから 西洋と東洋の架け橋として、数の言葉ヒフミヨ(1234)に捉えたい・・・
     クレーの「数学的なヴィジョン」は、言葉の点線面とカタチ(〇△▢ながしかく)から「別れを告げて」、数学記号(+-×÷√=)へ無意識に到達していたと観たい・・・

     「クレーの天使」群に想いをはせる・・・