中平康を見直す  『誘惑』

一部で非常に評価の高い中平康は、人間と言うか、他人を信じていないので私は好きになれなかったが、これは驚いた。非常に良き作品だった。

原作は、伊藤整の新聞小説で、相当に通俗的な風刺劇であるが、ともかく皮肉な視点と人間観察が面白い。自己の内面をそれぞれの独白でやっていて、非常にユニークである。

主人公の内面を独白で描く映画は多いが、ここでは出てくる主要人物のほとんどが、他人を観察する時に、独白をする。

銀座に洋品店を開いている千田是也には、娘左幸子がいて、彼女は、波多野憲がリーダーの前衛生花グループにいる。波多野の母親の長岡輝子は、普通の生花の師匠で、上流の婦人が稽古に来ているが、その邸宅の離れで、左や波多野らは電気工作工事のような前衛生花作品の創作に努めている。

千田は店の二階を画廊に改築するが、それは元々彼が画家を目指していたからで、芦川いづみとは恋仲だったが、後一歩が踏み出せず、芦川は他の家にお嫁に行ってしまったのである。

波多野たちは、友人の若手画家葉山良二、中原早苗らと一緒に左の父の画廊で展覧会をしようとするが、オープンはかつての千田の友人だった岡本太郎、東郷青二らによって輝かしく開かれる。

そこに葉山の友人で、極貧の画家安井昌司が作品を持ってきて会場に飾ると、岡本らから絶賛され、一躍有名になる。

彼はまた正直な男で、洋品店の店員で30過ぎで全く化粧っ気のなかった渡辺美佐子に向かって、「君はきれいだ、化粧をしなさい」と言って渡辺を化粧によって美人にしてしまう。

最後、画家よりも世慣れた商才を認められて葉山は、左と一緒になって千田の洋品店を継ぐことになり、安井と渡辺は結婚する。

展覧会に葉山の妹で芦川いづみが現れ、千田は驚愕するが、彼女は、千田の恋仲だった芦川の娘だったのである。

                   

そして、画廊の受付嬢になり、お祝いで酔って千田の家に芦川が泊まった時、千田は、まるでかつての恋人の芦川への如く、娘の芦川にキスしてしまうのである。

ここにはなにが隠されいるのだろうか。矢代静一の戯曲『黒の悲劇』にも、友人と結婚して死んだ妻の娘と恋愛関係になるというのがあった。

これは、やはり伊藤整ら、昭和初期に青春を過ごした世代が持つ、「失われた時代」の喪失感ではないかと私は思うのだ。

因みに千田是也と芦川いづみが語り合う五重塔が見える場所は、池上本門寺の境内である。

いずれにしても、この時期の中平康は、まだ人間を信じていたことがよく分かった。

奥さんと結婚して娘の中平まみを得た幸福な時代だったのだろう。

神保町シアター

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