『日本侠客伝・雷門の決闘』

フィルムセンターの「亡くなられた映画人特集」で、高倉健のヒット・シリーズだった1969年の『日本侠客伝・雷門の決闘』

                                                       

脚本は笠原和夫と野上竜雄で、監督はマキノ雅弘で、私はマキノがさほど好きではないので、このシリーズも飛び飛びにしか見ていない。

大正15年の浅草、六区で芝居小屋を持っている、元ヤクザの内田朝雄のところに、ヤクザを嫌って海の男になった高倉健が戻ってくる。

だが、数日後に内田はピストル自殺してしまう。

芸人に多額の金銭を与えていたためで、小屋も借金の形に、ヤクザの興行師水島道太郎と天津敏の観音組に取られてしまう。

初めは内田の遺言によって興行主になることを嫌がっていた高倉は、女役者のロミ・山田、許嫁の藤純子、その父親の島田正吾、元親友で人気浪曲師になった村田英雄らの願いで、浅草で興行の仕事をすることになる。

だが、水島道太郎たちの嫌がらせは続き、善玉の宮城千賀子、ロミ・山田らは身動きができなくなり、浅草の興行は水島に牛耳られるようになる。

ついに老齢の島田正吾と、元の組員で旅から戻って来て、島田と一緒に殴りこんだ長門裕之も惨殺される。

また、お調子者の待田京介も返り討ちにあったところで、高倉の我慢も頂点に達していた。

そして、8月31日、「関東大震災3周年の追善興行」を浅草の野外広場でやることになり、浅草の小屋主らは、高倉に仕切りを依頼する。

そこには、人気者の村田英雄も駆けつけてきて「忠臣蔵」の討ち入りを語る。

時代と忠臣蔵から、村田は桃中軒雲衛門のことなのだろう。笠原が言うように「ヤクザ映画」の元は、「忠臣蔵」なので、これは笠原の洒落である。

そして、最後には、水島の小屋からロミ・山田の一座も現場に駆け付けようとする。

それを防ごうとする水島のところに高倉が殴りこんでの大乱闘になり、無事追悼興行は成功し、高倉は警察に引かれて行って終わる。

助っ人の長門裕之の役は、本来この『日本侠客伝』は中村錦之助主演で企画されたが、東映京都内の事情で高倉健主演になる。

すると義理がたい中村錦之助が一部だけ脇で付き合ったことに由来するが、非常に良い役である。

先日、CSで1966年の『日本女侠伝』を見たが、ここでは高倉健も、藤純子も、相当に重い芝居になっている。

だが、3年前の1966年に作られた『日本侠客伝・雷門の決闘』では、軽く演技していることに気づいた。

まだ、二人とも1966年では、東映内のチンピラ役者だったのだが、この3年間で大スターになったわけである。

フィルムセンター

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