1963年、松竹大船で作られた中村登監督作品、脚本は松山善三、主人公の喜寿の祝いの父が伊志井寛なので、テレビの日曜劇場あたりが元だろう。
鎌倉の伊志井寛の大邸宅に喜寿の祝いに、岡田茉莉子、岩下志麻、会社を早退けした川津裕介らが来る。
岡田は、共産党の医者田村高広と一緒になり家を出た長女、川津は東京の新聞社の記者で三男、岩下は、伊志井寛の恩人の一人娘で子供同様の女。
この恩人というのが笠智衆で、会社の社長室に額に入れられて飾られているのが笑える。
伊志井は、笠智衆の引立てで、一工員から鉄工所の社長になったが、その妻は田中絹代。
長男の増田順二は、父親の社長の下で専務、妻は丹阿弥康子、次男は佐田啓二だが、北海道にいて、出るシーンは少ない。
佐田の妻は、環三千代で、北海道の牧場のようなところで多人数の子供を抱えているが、なぜか佐田が牧場の草原を背にすると合成画面になる。
牧場のサイロのようなセットはスタジオでできたが、広い草原は、合成するしかなかったのだろうか。
いろいろあるが、岩下は、結局好きだった川津の職場までに押しかけて来て、愛を告白して二人は結ばれる。
これは、考えて見れば、小津安二郎の遺作『秋刀魚の味』の「悲劇」を裏返したものになったいる。
そこでは、岩下は、兄佐田啓二の部下吉田輝男が本当は好きだったのに、それを吉田に言わなかったために、吉田は別の女と結婚してしまうのである。
そして、ここで中村登たちが新たに付け加えているのが、次女榊ひろみの国際結婚である。
岩下の結婚を聞き、榊は自分にも恋人があり、それは職場で知り合ったアメリカ人であることを明かす。
昔気質の伊志井は、猛反対し、田中絹代も気が進まないが、岡田以下の川津、岩下、そして北海道から出てきた佐田も、榊の結婚を賛成する。
この時代には、既に国際結婚くらいしか、結婚に反対する理由はなく、恋愛の障害はなくなっていたのだろう。
最後、親の反対で正式な式を挙げていなかった田村高広・岡田茉莉子夫妻を含めて3組の夫婦が結婚式を挙げることになるという目出度さ。
式場は、さすがにホテル・オークラだった。
榊ひろみは、横浜市南区蒔田出身でSKDから松竹に入り、結構可愛かったので青春スターだったが、荒木一郎と結婚して辞め、すぐに離婚した。
その後、また少し出てきたが、再び経営者と結婚して辞めたようだ。
この映画の後、続いて1961年の番匠義明監督作品の『ふりむいた花嫁』を見た。
この方が、蒲田以来の松竹的だったが、それについては、私のホームページ ジャンルの垣根を越えて に書いたので、そちらをご覧下さい。
この映画は、松竹大船的だが、戦後の日本社会の発展に伴い、その世界が戦前の東京下町の庶民から、鎌倉の上流の階層になっている。
その程度には、松竹映画の世界も上昇したのである。
阿佐ヶ谷ラピュタ