『オィデイプス』

いつも書いていることだが、私は海外から来た芝居は、基本的に見ることにしている。日本の演劇はきわめて閉鎖的だが、外国のものを見ることで、相対化できるからである。

今回の公演は、ルーマニア国立ラドゥ・スタンカ劇場である。スタンカというと、昔南海、今のソフトバンクにいた巨人のような投手を思い出す。

この人は、傑作な投手で、1961年の日本シリーズで南海が巨人と対戦した時、9回に杉浦のリリーフで出て、2死から南海の選手が2度エラーし、さらに打者が宮本の時、2ストライクからど真ん中のボールを「ボール」と主審に判定されて激怒したことがあった。

そして、南海は巨人に負けたのだが、当時の審判の判定は、きわめて巨人に有利なものが多く、「長嶋ボール、王ボール」と言われたものである。

                                                 

そのスタンカ投手とスタンカ劇場がどういう関係かは知らないが、芝居は大変に良いものだった。

話は、よく知られたギリシャ悲劇『オィデイプス』で、日本ではギリシャ悲劇というと、大抵は荘重に演じるが、ここでは大変激情的に演じられていた。

この辺の民族的気質は、1980年代末の東欧の民主革命の中で、ビロード革命と言われて平和的に移行したチェコなどとは正反対に、独裁者チャウシェスクを殺害したという、民族的気質からきているものだろうか。

筋は、国中に疫病が蔓延し、その原因を探る中で、王オィデイプスの悲劇的な出自が明らかにされるものである。

王に、後暗い過去があるというと、見ていてついチャウシェスクのことを思い出してしまう。

彼は信じがたい独裁者で、ルーマニアを大国にするために「産めよ、増やせよ」政策を推進し、出産を奨励した。

それだけなら良いが、貧弱な医療体制で行ったので、注射針の使い廻しなどは、常識で、そのためにエイズも蔓延させてしまったのだそうだ。

横浜市は、なぜかルーマニアの港湾都市コンスタンツアと姉妹都市で、1990年に代表団が来浜したことがあった。

県がやった「国際音楽祭」に参加するために来たのだが、通訳の方に聞くと、彼らは毎日寝ないでテレビを見ているとのことだった。

当時、ルーマニアでは停電が普通で、夜は町も電気がろくに点いていないのに、日本、「横浜の電気の明るさはなんだ」と驚いているのとのことだった。

さて、劇に戻ると、ギリシャ悲劇のコーラスはなく、普通の市民が主人公たちを囲むというものだった。

全体に役者のレベルは非常に高く、日本の俳優で叶うのはそういないのではと思うほどだった。

サッカーや野球の例をあげるまでもなく、外国人を何らかの方法で、日本の演劇界にも入れていくことが必要だと思われた。

東京芸術劇場

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