笠原和夫の『昭和の劇』には、創価学会の池田大作についても、例によって笠原が調べたことが書かれている。
それによれば、池田は学会で零細業者等に金を貸し、返せなくなると担保の土地を取るなどの悪辣なことをやっていたが、同時に別の仕事を斡旋するなどきちんと面倒をみていて、こうしたことが学会の組織拡大につながったと書いている。
その通りだが、池田大作の家は、もともと大森の海苔業者で、ノリヒビの貸し付けをやっていた。
ヒビとは、今では網になっているが、昔は竹でできたもので、それを海に立てて、ノリが生育させるもので、零細な漁民は、ヒビを借りて海苔を養殖したのである。
そして、海苔が上手くできない等の場合は、金を借りることになり、そうして雪だるま式に借金が増えていくことになる。
こうした家業で池田大作は、育ったので、学会に入っても、そうした業務に精通し、創価学会の財政的基盤の向上に大きく寄与したのだと思われる。
大森は昭和20年代まで、漁業があり、ここで採れた海苔のほか、エビ、シャコは大森の特産品で、当時大田区に住んでいた私の家にまでその朝に採れたしゃこを昼過ぎに売りに来たもので、おやつとしてよく食べたことがある。
なぜ、大森のようなところに漁業があったかといえば、「水清くして魚住まず」で、魚介類は、ある程度水に有機物が含まれていないと美味しくならないからなのである。
その意味で、江戸前の魚や、浅草ノリがおいしいかったというのも、江戸湾、東京湾が多数の人口によって有機物が多かったからなのである。