北京五輪の先駆 サウンドクラウド・トミタ

作曲家富田勲が亡くなられた、84歳。

レコードやサウンドトラックとして完成されているものはともかく、この人が電通と組んで1980年代末にやった「サウンドクラウド・トミタ」は極めておかしなイベントだった。

1988年4月、パシフィコ横浜に派遣され、すぐにオープニングイベントの担当になったので、長良川での「サウンド・クラウド」にも行かされ、横浜でのそれも山下公園前の産業貿易センターで見た。

                    

結論は、そのほとんどがテープ再生であり、横浜での森高千里は完全に「口パク」であり、ライブ性がない、ライブとは言えないイベントだった。

富田勲は、中央のガラスのピラミッドの中でヘッドフォーンを耳につけて各パートに指示し、テープを操作していた。

その意味では、北京五輪開会式の「口パク」の先駆だったと言えるだろう。

テレビ放映を目的とした大規模イベントでは、音がずれてしまうのでライブはおよそ無理で、口パクにしかならないことを明らかにしたイベントだった。

その意味では、「先駆者」だったことは間違いないだろう。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする