『日本ロック雑誌クロニクル』 篠原章 大田出版

1960年代以降の日本の代表的ロック雑誌であった『ミュージック・ライフ』、『ミュージック・マガジン』、『ロッキン・オン』そして『ロック・マガジン』の編集長だった、星加ルミ子、中村とうよう、渋谷陽一、阿木譲らにインタビューし、それぞれの雑誌の特徴を、日本でのロックの社会的意味の変遷を通して描いたもの。

中では、星加ルミ子が一番面白い。
彼女が、全くの素人のファンの女の子から、アルバイトの延長のようなレベルで、『ミュージック・ライフ』編集長になり、ついにはビートルズに会いに行ってしまう件。
当時、「星加ルミ子がビートルズが会った最初の日本女性だったのは、日本女性全体があの程度のルックスと誤解され、日本の恥だ」と言った、私の知り合いの女性さえいた。
これも、シンコー・ミュージックと東芝の草野兄弟の手配はあったものの、実はほとんど飛び込みに近い取材で、星加ルミ子さんが、ブライアン・エプスタインを通してビートルズにインタビューできたのは、むしろ素人くさい若い子だったからだった。
私にとって長年の疑問である、「なぜこんなに若い素人の女がビートルズに会えたのか」に回答が得られた。

篠原にとっても一番思いれの多いのは、やはり『ミュージック・マガジン』と『ロッキン・オン』で、中村とうようへのインタビューと渋谷陽一への架空のインタビューは、力が入っていて、両者が交わした有名な論争の評価も極めて公平。
大阪で、阿木譲が出していたという『ロック・マガジン』は、唯一私が読んだことのない雑誌だが、それなりの時代を反映したものであったようだ。

音楽雑誌は、クラシックはともかくポピュラー音楽は、中村とうようさんの「30年説」に従えば、「ポピュラー音楽が、概ね30年くらいで栄枯盛衰を繰り返す」のだから、その雑誌も時代と共に生まれ、成長し、衰退し、その結果いつか消えて行くのは当然のことなのだ。

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