先日の日本映画学会第5回例会で、京都大学の伊藤弘了君の発表があった。
「ネガ・シートからたどる小津安二郎『早春』の生成過程」だった。
ネガ・シートとは、ネガのカット尻を整理したもので、小津作品では『早春』の他、『東京物語』も保存されているとのこと。
これは主に、ネガからポジフィルムへの現像のタイミング、さらには弟子の養成のために保存されていたもののようだ。
懇親会での彼の話では、大映の宮川一夫の膨大なネガシートもあるのではないかとのこと。
これでわかるのは、『早春』約800カット(NGカットも含む)の内、ほとんどは50ミリの標準レンズで撮影されていて、40ミリレンズのは以下の3か所とのこと。
1 高橋貞二、田中春男ら蒲田駅からの通勤仲間と出かけた茅ヶ崎のハイキングで、池部良と岸恵子が自分たちだけトラックに乗ってしまう荷台上のカット(写真ではない)
2 蒲田の土手下の家先で、高橋貞二が犬小屋を作っているシーン
3 まるで岸恵子との情事の罰のように、池部良が岡山三石に左遷され、そのレンガ工場の煙突のカット
伊藤は決定的な解釈を出していないが、私は次のように考える。
第一は、この3シーンは、大船撮影所ではなく、ロケで撮影したので、十分な広さがなく、引きのカットが50ミリでは無理だったので、40ミリで撮ったである。
因みに、40ミリは、50ミリに比べて引きの画面になる、広角レンズである。
第二は、この3シーンは、1池部と岸の情事の始り、2あまり裕福ではない高橋の生活の描写、3左遷というサラリーマン人生最大の悲劇、である。
つまり、恋愛、貧乏、不遇という人生の大きなドラマの場面で、普通は極めてドラマチックに演出されるシーンである。
だが、それらで小津安二郎は、非常に冷静に引いて撮影されている。
つまり、「そんなことは大したことではないよ」と小津は言っているのではないだろうか。
その理由の一つに、彼の『晩春』『秋刀魚の味』の2本では、原節子、岩下志麻が見合い結婚するが、相手の男の姿は一切出てこない。
恋愛劇の、あれこれのドラマなんて意味がないと小津は言っているのではないだろうか。
では、何が一番重要なのか。それは、生まれて育ち、伴侶を得て、子供を作り育て、そして死ぬという循環こそ意義のあることだと言っていると思う。
その証拠に、小津映画脚本の共同作者だった野田高梧は、『麦秋』について、「これは輪廻のようなものを描いたものだ」と言ってる。
伊藤君の今後の研究のますますの進化をお願いしたい。
コメント
こんばんは。
黒澤監督は、白黒時代こそが、最盛期といわれる事がありますが、白黒こそ、映像技術の発展途上にあって、製作陣の力量が出るものと思います。
CGに頼れない時代だからこそ、現場の創意工夫とか、小道具、それに天候とか、映画に愛されている、という運勢も現れるものではないでしょうか。
人生をリアリズムでとらえれば、ドラマが無いものなどはあり得ないと思います。むしろ、幸せ過ぎる生が許されている現代こそが、非現実な時代ではないかと思います。そこには、一塊の好奇心とか、変化を愉しむ心の在り方による、とも思います。
基本的には職人だったと思う
黒澤明、小津安二郎、成瀬己喜男、溝口健二を4大監督と呼ぶことがあります。
彼らは基本的に職人的で、絵描きです。その意味では、マキノ雅弘や森一生らの娯楽派監督と同じだと私は思っています。
4大監督には共通することが四つあります。
男で東京生まれなこと、全員大学を出ていないこと、しかし全員絵が上手かったことです。