黒沢明再説

前に、映画監督黒沢明が戦争に行かなかったことを書いたが、同年代の監督連中はどうだったか、「監督全集」で調べてみた。
黒沢は、1910年3月生まれ。
木下恵介、1912年12月、今井正1912年1月、新藤兼人1912年4月、東宝で黒沢の助監督もやり、後に東映で刑事物を撮った小林恒夫1911年9月、全員が徴兵されて軍務についている。

作家大岡昌平は1909年3月生まれだが、徴兵され最老年兵としてフィリピンに送られた。

ずっと年長の小津安二郎や溝口健二等も軍属として兵役についている。小津はシンガポールに溝口は中国に行っている。
黒沢が戦争に行かなかったのは、大変な例外なのである。

私は、それを非難しているのではない。黒沢がそのことを恥じていて、後ろめたく思っていたことが、戦後の黒沢の作品の核になっている、と言いたいのである。

あの愚作『夢』の中で、奇妙にリアリティのある、トンネルから戦死した兵士の列が私に呼びかけてくるエピソードは何を語っているのか。
あれは、彼の戦死者へのある種の「後ろめたさ」以外の何者でもない。
戦争が黒沢に与えた傷は随分と大きかったのである。

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