市川雷蔵の二重性

市川雷蔵が大変幅広い役柄を持っていたことはよく知られている。
特に、一人の人物で二重の性格や、異なる人格を持っている役が最高だったと思う。
その典型が、『忍びの者』シリーズでの霧隠才蔵である。
才蔵は、一級の忍者であるが、いつもは普通の農民である。
この平凡さと非凡さの二重性が、このシリーズの魅力であり、同時に演じられるのが雷蔵の演技力の高さである。多分歌舞伎での二役等の修行から来ているものだと思う。

このシリーズは多くの名作(一番好きなのは、八千草薫が女忍者を演じる、森一生監督の『伊賀屋敷』)を残したが、同様なキャラクターは『陸軍中野学校』シリーズに受け継がれる。
中野学校卒の椎名中尉は、普段は平凡なサラリーマンだが、本当は陸軍の上級スパイである。
ゾルゲ事件をモデルにした秀作があったが、これも『開戦前夜』の真珠湾攻撃で終了してしまう。

そして、最後に作られたのが、森一生監督の名作『ある殺し屋』である。
ここでは、町の小料理屋の店主雷蔵は、特攻隊の生き残りで本当は暗黒世界では有名な殺し屋である。
ヤクザの小池朝雄から依頼を受け、見事に暗殺を実行する。
そこに、雷蔵にあこがれる若いヤクザ成田三樹夫と小料理屋の女野川由美子が絡む。小林幸子が女中役で出てくるのも面白い。

第二作の『ある殺し屋の鍵』では、雷蔵は日本舞踊の師匠。
勿論、すごい殺し屋であることは同じ。
この優れたシリーズは、雷蔵の死によってたった2本しか作られなかった。

だが、このシリーズの、主人公が市井の普通の人間だが、実はすごい殺し屋、そして細い畳針を相手の延髄に刺して殺す、と言う方法は、テレビの「必殺シリーズ」に受け継がれ、延々と制作されて行く。

雷蔵という一人の役者が作り出した役柄が、その後多くの俳優に受け継がれて行くのである。
ここで、何度も書いているが、映画等の大衆文化では一つの作品が、次々と別な作品を生み出して行く。
これは歌舞伎でも同じで、所謂「型」も歴代の役者たちの創作と継承であり、それが伝統になる。
そのいちいちに著作権を主張したとしたら、実に馬鹿げたことである。
日本の民衆の言わば「集団的創作」なのであり、だからこそ延々と受け継がれるのである。

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