佐村河内守氏の作品が、別人の新垣隆氏の手になるものが明らかにされた。
そこで、曲の著作権は誰にあるのかを考えてみたい。
原則的に言えば、著作権は新垣氏にあることは明確である。なぜなら、著作権法は、権利者を著作物を記述した者と定めており、アイディア等を出した者は権利者ではないとしているからである。
テレビ、新聞等の報道によれば、佐村河内守氏は、図形や文字によって曲の主題、構成と進行、具体的な細部を指示し、それに基づいて新垣氏が譜面に書いたとしているのだから。
ただ、問題はそう簡単ではなく、それは佐村河内守氏と新垣氏との合意によるものになり、新垣氏は権利を主張しないそうなので、佐村河内守氏にあるということになる。
だが、こうした類例は音楽の分野では決して珍しいことではない。
ジャズの世界の神様のごとき大作曲家で私も大好きな、デューク・エリントンの曲のほとんどは、彼と同楽団のピアニスト、アレンジャーだったビリー・ストレイホーンとの共作になっている。
これは、本当はビリー・ストレイホーンが作ったのだが、リーダーで親分のエリントンが、自分との共作にして権利を分け合ったものだとされている。
また、日本の文学でも明治時代の尾崎紅葉の小説の大部分は、彼の弟子の硯友社の作家によるものとされている。
もっと最近では、菊池寛の小説の、彼が文芸春秋社を作るなどして多忙になった時代以降の作品は、彼の秘書、愛人だった女性の手によるもので、それを暴露した彼女の本もある。
さらに、ノーベル文学賞作家川端康成は、1950年代に多くの通俗的小説を新聞や週刊誌に書いていたが、それは後に流行作家となる梶山季之のものだった。
本来、詩人のような感性で、通俗的な小説を、それも短時間に書く事は川端には到底不可能だった。
そこで、梶山季之が代作し、川端の名で発表したのだった。
それは、作家、代作者、出版社それぞれにとって利益のあることだから、誰も文句は言わなかったのである。
騙されたのは、読者だけというわけか。